照屋寛徳・元衆院議員逝去。心から哀悼の意を表します。

2022年04月15日

 

15日午後、社民党副党首などを歴任した照屋寛徳・元衆院議員(76歳)が病気療養中先の病院でお亡くなりになりました。

心から哀悼の意を表します。オール沖縄を代表する政治家でした。

 

 

沖縄の嘉手納基地の負担軽減、辺野古への米軍新基地建設反対の運動をご一緒してきました。

照屋さんは、同じ国会対策委員長として、社民党を代表し活動してこられ、野党共闘の発展に尽くされました。その闘いに敬意を表します。

沖縄返還50年の節目、基地も核もない日本国憲法のもとに帰るとの建議書の精神に立って頑張ります。

県知事選挙での玉城デニー知事の勝利、参院選では伊波洋一参院議員の勝利へ全力をあげることをお誓いし、お別れの言葉とします。

 

2018年2月、名護市長選にて、4野党の国対委員長そろって応援へ。

 

 

2018年2月、名護市にて、「アベ政治を許さない」プラスターを掲げる

 

 

2019年4月、国対委員長で辺野古調査へ。謝花副知事と懇談。

 

 

2019年6月、安倍内閣不信任決議案提出

 

 

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照屋さんは、1945年7月・うるま市(旧具志川市)の出身で、サイパンの捕虜収容所で出生。琉球大学法学部を卒業し、沖縄が本土復帰した1972年に弁護士登録をし活動。県議を経て、95年参院選挙で初当選し国政へ。参院1期、2003年衆院沖縄2区に転じ連続6回当選。通算7期24年、国会議員として活動。