写真展「甦れ歴史の記憶」(主催:中国人戦争被害者の要求を支える京都の会)を訪ねる

2020年07月14日

 

戦時中、日本政府の主導で行われた中国人強制連行について多くの人に知ってもらおうと、写真展「甦(よみがえ)れ歴史の記憶」( 主催、中国人戦争被害者の要求を支える京都の会) が、京都市下京区の「ひとまち交流館京都」で開かれており、12日、足を運びました(写真展は、14日までですのでぜひ足をお運びください)。

写真は、「支える京都の会」の桐畑米蔵事務局長から説明を受ける私。

 

 

写真展では、①日清・日露戦争、15年戦争と戦争に明け暮れた1945年以前の75年と日本国憲法の下での戦後75年との比較、②京都・大江山ニッケル鉱山での強制連行の実態と裁判闘争、③全国の裁判闘争、④被害者の尊厳と名誉回復など問題解決の道筋などについて、100枚ほどの写真と約50枚のパネルで紹介されており、たいへん勉強になりました。

 

 

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なお、日本政府は1942年、中国人労働力国内に移入する施策「華人労務者内地移入」を閣議決定。官制の徴発組織「華北労工協会」を使って中国人労働者約4万人を集めました。中国人労働者は、日本国内の鉱山、発電所、港湾などでまともな食事を与えられず、不衛生な環境で過酷な労働をさせられ約6000人が死亡したとされます(写真)。

 

 

京都では、大江山ニッケル鉱山で200人の中国人が強制連行されました。この問題では、6人の元労働者が、鉱山を経営する日本冶金工業を訴え、1人350万円の賠償金をともなう和解を勝ち取りました。

 

 

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なお、私は2018年11月14日、衆院外務委員会において朝鮮人徴用工の問題を取り上げた際、故野中広務氏の経験と自戒の念を引用(下記)し、「(徴用工)個人の請求権は消滅していない」との外務大臣答弁を引き出しました。

「子どもの頃、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでぱっちとたたかれ、血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。戦後64年が経過したいまでも、戦争の傷は癒えていません。北朝鮮との国交回復、賠償の問題も残っています。多くの未解決の問題を見るとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任がとれていない。そのこと自体が被害者の方々にとって大きな傷となっていると思われ、政治家の一人として申し訳ない思いです」