こくたが駆く

今年も、いつものみなさんと五山の送り火に思いを馳せる

五山の送り火は、京の夏の夜空を焦がす京都の伝統行事。葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされる。

image 毎年8月16日の午後8時に、「大文字」(京都市左京区の大文字山)に点火。10分後に、「松ヶ崎妙法」(京都市左京区松ヶ崎の西山と東山)に点火。その5分後に、「舟形万灯籠」(京都市北区の船山)と「左大文字」(京都市北区の左大文字山)に点火。最後は8時20分に、「鳥居形松明」(京都市右京区の曼陀羅山)に点火される。以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。

今年も、いつものみなさんと、五山の送り火を鑑賞し、特に東日本大震災の被災地へと思いを馳せた。

岩手県陸前高田市の松でつくったまきを使う計画が持ち上がった。放射能汚染をめぐって京都市が二転三転の対応の結果、中止となった。残念だ。
陸前高田に住まいし、今日京都に居を構え活動しているものとして、本当に悲しい出来事だ。
初盆に、犠牲者の遺族らのメッセージが書き込まれたまきを燃やすことは、鎮魂の意味が深かったと思う。
放射能物質が検出されなかった時点、京都市の最初からのキチンとした対応が求められていたと考える。

 

DSCN4305 北病院では、「おおみや 葵の郷夏まつり」が、病院のリハビリ室で開催された。みなさんの長寿を願いつつ、平和への思いをこめて、送り火が中止されていた第二次世界大戦中の1943年から45年に送り火が中止。その代わりに43年と44年は、早朝に白いシャツを着た地元の第三錦林小学校の児童らが山に登り、人文字で「大」を描いた話などを紹介し、「平和でこそ大文字」とあいさつした。
その後、屋上で皆さんと「大文字」を鑑賞。「妙法」の炎が少し見えた。

image 立命館大学の屋上からの、「第19回大文字送り火鑑賞会」にギリギリに滑り込んだ。私が京都市会議員の時代、地元の町内会長として、立命館大学と話し合いを持ち、大学の「以学館」の屋上を開放し、鑑賞会の実現にこぎつけtらもの。
今年も楽しませていただきました。私の顔の左側に小さく見えるのが「左大文字」。わかりますかね?

 

| コメント (2) | トラックバック (0) | Update: 2011/08/17

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コメント

「平和でこそ大文字」・・・確かに!
今年の送り火には、やはり特別な想いがありました。仙台の演劇仲間の何人かが震災で身内を亡くされています。嵯峨野のマンションから、「鳥居」の炎に祈りをこめて手を合せました。先月生まれてきてくれたばかりの長女を抱いて・・・

 ツイストさん、メールありがとうございます。
 戦前に「大文字」が中止されたことがあるんですよね。1943年から45年までの三年間がそれです。
 当時の「白い大文字」は、戦意高揚とか、いろりろ複雑な内容も!
 私は、やはり陸前高田市に3年間住まいしたものとして、鎮魂の意味で、想いを書き込んだ護摩木を使ってほしかったと考えます。
 7万本といわれた「名勝高田松原」です。その松の一部がと思うと悲しいです。
 私は、この頃『鳥居』を見たことがありません。
 お嬢さんを大切に!

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