民意の反映か集約か

2012年05月23日

政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第3号(平成24年5月23日(水曜日))

穀田委員

日本共産党の穀田恵二です。

四人の参考人の先生方には、本当にお疲れさまでした。貴重な御意見、ありがとうございます。

私は、まず最初に五十嵐参考人にお聞きします。

きょう、五十嵐参考人がレジュメでもお話ありました、選挙制度に関する幾つかの論点という中で述べられました、民意の反映か集約かということについて少しお聞きしたいと思います。

これは、いわゆる政治改革以来、選挙制度に関して一貫して語られてきたものでした。特に、民意の反映としての比例、民意の集中としての小選挙区制という話が随分喧伝されたものですが、私は、これは間違っていると思うんですね。

きょう、先生はこの(四)のところの話は非常に短くされたので、できればもう少し詳しく述べていただけるとありがたいんですが。御意見を伺いたいと思います。


五十嵐参考人

先ほども言いましたように、選挙というのは代表を選ぶものです。

もともと、直接選挙といいますか、要するに直接民主主義ということで、有権者、主権者がそのまま出てきて議論を行うというのが一番民主的なんですけれども、しかし、社会の規模が拡大していけばそれはできなくなる。かわりに代表を選ぶというのが選挙の始まりですよね。代表を選ぶシステムですから。

それが、選ぶ側と選ばれる側の民意の構図が変わってしまうということになりますと、間接民主主義の否定になっちゃうんですよね。そうでしょう。だって、選挙をやったら違っちゃうというのは。だから、これはやはり大きな問題である。

民意を集約するというふうに言われたときには、これは政権交代をできやすくするというふうな議論がありましたけれども、そもそも、望んでいない政権交代ができやすくなるということになっては困るわけですよ。国民が望んでいない、主権者が望んでいない政権交代が起きても困るし、望んでいる政権交代が起きなくても困る。

この望まれた政権交代が起きない場合と望まれなかった政権交代が起きる場合はあるのかというと、きょうの私の最初の最も単純な小選挙区制のモデルの図を見ていただきますと、実際にあるわけなんですね。

理論的にもこういうことがありますし、皆さん御存じのところでは、先ほどもちょっと言いました二〇〇〇年米大統領選挙。ゴア候補の方がポピュラーボートでは数が多いんですよ。ところが、選挙人の数では少なくなっちゃった。これは各州、選挙人総取りですから、小選挙区制と同じような問題が生じる。こういう制度の仕組みによって民意が変わる。

しかも、過剰敗北といいますか過剰勝利が生ずる。具体的な例で挙げたのは、これは四七%の得票率で七四%の議席を獲得するという〇九年総選挙の民主党の場合ですけれども、過半数に行っていないようなところが四分の三ぐらいまで議席がとれる、これはべらぼうじゃないかというふうに僕なんかは思います。

だから、こういう過剰勝利、過剰代表を通じて政権が交代するということに幻惑されて、民意の集約というような議論が出てきたのではないか。実際には、これは民意が集約されているのではなくて、民意が歪曲されていることであるというふうに僕は思いますし、先ほども言いましたように、さまざまな民意があるわけですよ。

そのさまざまな民意は、それぞれ皆さんが代表されているわけです。代表しているその民意に基づいて国会で議論をする、お互いに討論を通じて一致点を探り合い、そして一定の方向を出して合意に至るというのがまさに民意の集約であります。それこそ、国会、議会の役割であって、そういう役割を担っている議員の皆さんが選挙で民意を集約するというふうに言うのは、まさに自己否定そのものではないだろうかというふうに私は思っております。

以上です。


穀田委員

ありがとうございます。