第30回「アテルイ・モレの碑」法要及び懇親会に参加。

2023年11月13日

報告です。11日、京都・清水寺で開催された「第30回 アテルイ・モレの碑」の法要及び懇親会に参加しました。

前日までの雨も上がり、ようやく秋らしい気候になりましたが、この間の暑さのせいで、清水寺境内の紅葉はまだこれからという状態でしたが、岩手奥州市からをはじめ、たくさんの方が参加され、盛大な法要となりました。

 

 

法要は、清水寺の森清範貫主が務められ、私も「北天の雄」と称せられた阿弖流為、母禮のたたかいや征夷大将軍・坂上田村麻呂との交誼に思いを馳せ、「阿弖流為・母禮之碑」の清水寺境内への建設に関わったひとりとして、心を込めてご焼香しました。

 

 

 

清水寺の境内には、ご承知の通り、元京都府知事の蜷川虎三さんの歌碑(「道はただ一つ この道を行く 春」)があり、いつものようにこちらにもお参りしました。

 

 

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懇親会では、関西アテルイ・モレの会の和賀亮太郎会長が挨拶。この中で、1990年、碑建立のため、当時、京都市会議員だった私と藤本さだ子議員が、福岡精道勧学長、大西真興執事長との面談、内諾を受け、1994年に「アテルイの顕彰碑」建設が正式に決定したことも紹介されました。

 

 

その後、大西皓久新執事長が、執事長としては初めてのご挨拶をされました。

 

 

「乾杯の音頭」を依頼された私は、「清水寺の歴史を切り開く先見の明、偉大さは、『共生社会』の実現を古くから模索されてきたところにある。
近年、オランダ国王が奴隷制度を謝罪、ベルギー国王は植民地を謝罪。共生の立場からの過去の反省が相次いでいます。
当時、坂上田村麻呂とアテルイ・モレとのたたかい、すなわち『朝廷対反朝廷』とのたたかいを皇国史観から描こうとする古代史が大きな流れであったが、その中にあって清水寺が『反朝廷』側の代表の碑を1994年に建立されたことに、『共生社会』重視の姿勢があったのではないか」と、端的にご挨拶しました。