京都1区「3日間連休行動」その1//京都市中京区で街宣、集い、訪問活動

2020年09月22日

20~23日の連休は、来たるべき総選挙での躍進、とりわけ比例代表選挙での近畿ブロックの議席倍化、京都1区での私、こくた恵二必勝をと、京都1区のすべての行政区での行動を計画しました。

20日は、その第1日目。京都市中京区での行動。街頭演説8ヵ所、「党を語る集い」2ヵ所、入党者を迎え、日曜版読者4人を増やすことができました。写真は、朱雀第4学区で、支部や後援会のみなさんと宣伝。

 

 

路地の辻々での宣伝では、車の中から手を振っての声援やわざわざ家から出て来ていただき声援を送っていただきました。ありがとうございました。

 

 

街頭宣伝や「集い」での訴えで、私は、「いま、解散総選挙があるかと言われており、また、菅政権をどう見るのか」として、「菅新政権は、『安倍内閣の継承』というが、どういう日本のつくるのかのビジョンが何もない」と指摘。大きく3つの角度で訴えました(写真は、朱雀第3学区の「集い」で、ジャパンライフの山口元会長が「桜を見る会」への招待を詐欺商法の宣伝に最大限利用した証拠のチラシを掲げて訴える私)。

 

 

私は、第一に「明確な将来ビジョンを示さない菅さんが掲げていることの中で、唯一ハッキリしているのが、『自助、共助、公助』ということだけだ。しかし、いまコロナ禍のなかで、いまの社会がこのままでいいのか、みなが考え、気づき始めたのではないでしょうか」として、医療や保健衛生体制の脆弱さについて指摘しました。

特に、かつて11行政区すべてに保健所があったときの京都市の保険行政がいかに懇切・丁寧に行われており、その中で、いかに若いお母さんたちの「安心の支え」となっていたのかを紹介。また、阪神淡路大震災後の保健所の所長の「座談会」が1995年8月に行われ、保健所と保健師が「救護・救援、避難所と仮設住宅での衛生、食品管理、医療、健康、心のケアに大きく貢献した」と話し合っていることを紹介。「神戸の各区に9つの区に保健所があったからこそ、救護活動、救援活動ができたと指摘している。それがいまは1つの保健所になっているではないか」と紹介し、批判しました。

その上で、「菅さんは、『自助・共助・公助』と言うが、阪神淡路大震災にしても東日本大震災にしても、どれほどみんな自分で努力したか、どれほどみんな家族と、地域と、そしてそれを超えた絆をつくって努力したか。思い出していただきたい」と述べ、「一番足りなかったのが、『公助』、国の責任を果たすことではないか」と批判し、「憲法25条に基づく国の責任を果たさせよう」と訴えました。

この指摘に対し、特に「集い」会場では、口々に「そうそう。昔、保健師さんには世話になった」「いまは、昔、保健師さんがやっていた仕事を私たちベテランの寿司屋が肩代わりして、新しい店の指導を行っている」など感想が出されました。写真は、朱雀第6学区の「集い」で原田完府会議員団長と。

 

 

第二に、「では、政治の転換の方向性は」として、「3つの根本的転換」「7つの提言」について語りました。これに対して、集い参加者から「政府は、年寄りはあまり食わないからと生活保護の削減を進めようとしていると聞くが、年寄り独自の支出もある。ぜひ老齢加算を復活してほしい」「10万円の特定給付は本当にありがたかった。あれは共産党がやってくれたんやね」「年金の額がだんだん目減りしているように思うが、増やしてほしい」など、切実な要望も寄せられました。

 

 

第三に、私は、臨時国会の総理大臣の選挙で、野党がそろって新立憲民主党の枝野幸男党首に投票したことを紹介し、「市民と野党の共闘は、この5年間で大きな前進をし、いよいよ政権交代を現実的な課題となるような段階に来ました。衆議院では134名が枝野さんに投票した。あと100議席増やせば、野党連合政権が実現できます」と紹介し、「市民と野党の共闘をいっそう前進させ、総選挙で自民・公明政権に打ち勝ち、野党連立政権を実現しよう」と呼びかけました。写真は、朱雀第7学区での拡大行動の途中、西新道商店街で原田完府会議員団長と訴える私

 

 

最後に、街頭では「野党の共闘の要としての日本共産党の前進、中京区を中心とする京都1区では、私、こくた恵二をどうぞよろしくお願いします」と訴え、各地の「集い」では、「いま歴史が大きく動こうとする分岐点にあります。この時、自民党員は全国で108万人、対して共産党は20数万人。早く、2倍の50万人党の党員を実現し、野党連合政権を担う土台を強く大きくしたい。ぜひ、党に入っていただき、新しい激動の時代、政治革新の事業をご一緒しましょう」と入党を呼びかけました。