渡部恒三氏、ご逝去。議会人らしい議員、心からお悔やみ

2020年08月25日

 

23日、渡部恒三・元衆院議員が88歳で死去されました。福島県南会津町出身で、1969年の衆院選で初当選以降14回連続当選を果たし、2012年に政界を引退。

 

 

元衆院議員渡部恒三氏の訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。議会人らしい議員でした。衆議院の副議長も務め、99年には「国会は国民の期待にこたえる、国民にわかる審議を十分つくす必要があります」との見解を、しんぶん赤旗のインタビューに載せていただいたことも忘れられない思い出です。

 

 

氏とは生前、2006年当時は、民主党国会対策委員長として、国対委員長会談などご一緒させていただきました。その際にいただいた「起き上がり小法師」(写真上)です。

写真下は、2006年9月20日のもので、野党国対委員長会談

当時は、「黄門様」と親しまれました。

 

 

また超党派の「中選挙区制議連」で活動をともにしました。写真下は、2012年2月23日に開催された議連

 

 

2013年、渡部氏は「小選挙区制に賛成したのは政治人生最大の失敗」と語りました。

 

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1999年7月16日の「しんぶん赤旗」に掲載された記事です(要旨です)。

「インタビュー/審議つくす国会がいま必要/衆議院副議長 渡部恒三さんに聞く」

 いま国会はどうあるべきか。衆議院副議長の渡部恒三さんに聞きました。


 1969年に初当選以来、国会議員丸30年。今の国会ほど国民が期待する審議がおこなわれないまま政府与党提案の法案がスイスイ通り、成立する国会を経験したことがありません。自民党が単独政権で衆参両院で圧倒的多数を占めていた当時にも及ばないほどスムーズに法案が通っています。
 かつて自民党で長く国会対策委員長として苦労した私には、いまのような形がい化しつつある国会のありさまは夢のようです。国会の現状を心配する声は、野党ばかりでなく、私がつき合う自民党の人たちからも聞こえてきます。


法案の問題点も詰めずに通すとは
 法案にたいする態度は政党・会派によって賛成、反対はあると思うんです。しかし、国会のあり方として、一つ一つの法案について、もう少し審議をつくすべきではないかと私はいっているんです。
 
 政府与党の無責任が重い。政権を担当する政府・与党とそれにたいする野党との間で、まさに国民の負託にこたえる議論を重ねて、そこから国民のための新しいものを生み出すのが国会です。いまの自民党には野党のいい分を聞いてやるという余裕がなくなっています。
 自民党はわずかな期間、野党を経験しました。そのことが自民党という政党を立派にすることに役立ってほしいと期待したのですが、結果として野党経験は(政権から再び離れたくないという気持ちを強めただけで)マイナスに作用しています。


民意から離れた政治は続かない 
 民意から離れた政治や国会は長続きしません。確かに、いま小渕内閣の支持率が上がっています。しかし、よくみると消極的な支持なんです。だから私は、国民世論がこれからどうかわっていくかを注目しているんです。
 そのために国民のみなさんにしっかりと国会を見ていただく、政府の現状をしっかりと見ていただく、そのうえで判断していただくよりほかはないと考えています。その意味でも、国会は国民の期待にこたえる、国民にわかる審議を十分つくす必要があります。