大先輩・寺前巌元衆議院議員が逝去。心から哀悼の意を表します

2020年06月16日

私の大先輩、私の前まで日本共産党国会対策委員長を務めた寺前巌元衆議院議員が6日にお亡くなりになりました。突然の訃報に言葉もありません。

写真下左から、近藤忠孝氏、梅田勝氏、私、藤原ひろ子さん、寺前巌さんです。

 

 

私が、1990年に衆議院旧京都一区の候補者になって以来、公私ともにご指導いただきました。

 

 

「政治を国民の手に」を信条に活動された、まさに庶民の政治家・寺前巌さんです。当時の京都二区を選挙区として活動し、地元に帰ると支持者のお宅を訪問し、裏口・勝手口から入り「元気か?わしや、寺前や」と、その日はそのお家に泊めてもらうという活動を続けてきた方です。

 

 

 

寺前さんは、1996年の小選挙区制の下での初の選挙で、京都3区で当選。高知一区の故山原健二郎衆議院議員とともに勝利し、日本共産党の面目躍如たるものがありました。

私が、候補者になった翌年の正月元旦からは、山本宣冶、蜷川虎三、谷口善太郎、河上肇、国領五一郎の各氏と、解放戦士等、京都の革命・革新運動の先達のお墓詣りを慣わしにしているのも寺前さんの導きです。

「『金の切れ目が命の切れ目』で良いのか?」と腎臓病患者の方々と共に闘い人工透析の保険適用を実現。”社労の寺前”と言われ、労働者の権利、社会保障の前進のために尽力しました。

1995年1月17日の阪神淡路大震災の際は、当日イの一番に寺前さんと私は亀岡経由で兵庫入りしました。その後の被災者救援の活動にも現場主義を貫いて活動することの大切さを身をもってご教示いただきました。

 

 

国会対策委員長として約10年、自民党の金権腐敗政治追及の先頭に立って奮闘されました。

議員を引退する前は、議員宿舎で毎日のように、私がつくった味気ない食事をともにしたものです。

寺前さんが築いてこられた、国会活動を発展させ、市民と野党の共闘で連合政権を樹立するために奮闘することを誓います。
思い出は語りつくせぬほどあります。いまは安らかにお眠りください。