岩手・盛岡で野党五党首共同会見//東北の「英雄」阿弖流為について

2015年08月18日

明日19日、岩手県盛岡市において、野党五党首の共同記者会見が行われます。
戦争法案が参院で議論の真っ最中、岩手県知事選挙の告示日の前日です。
日本共産党は、東日本大震災・津波からの復興への取組みと安保法制(戦争法案)白紙撤回を掲げる達増拓也知事を自主的に支援して闘います。また同時に投開票の県議会議員選挙で現有2議席から3議席実現に向けて奮闘する決意です。

衆院段階で二度にわたる五党首会談を行い、安倍政権の横暴に立ち向かいましたが、達増氏の勝利と参院における共同に大きな意味を持ちます。

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「日本経済新聞」は「蝦夷の英雄 結ぶ絆」の記事を載せています。7月末頃には「朝日新聞」の夕刊に「清水寺と東北の「英雄」アテルイ 敵・味方を超え結ばれた絆」が掲載されました。

坂上田村麻呂創建の清水寺。その田村麻呂と対峙したのが東北は胆沢(いさわ。岩手県の現奥州市、私の故郷です)を本拠地としていた蝦夷(えみし)のリーダー阿弖流為(アテルイ)。その敵味方を超えた縁として、清水寺にある阿弖流為・母禮(モレ)の碑の話です。

2012年の法要のおり、関西アテルイ・モレの会の松坂定徳会長から次のようはお話がありました。「なぜ、この碑が清水寺にあるのか。来年で20回を迎える今年、改めて語りたい」「本日ここにお見えのこくたさんと、地元の市会議員の藤本貞子さんと清水寺の福岡精道師を訪ね、碑の建立を願ったのが平成2年(1990年)の2月。大西真興師から内諾を得たのが同年10月でした。そして、平安遷都1200年に当たる平成6年(1994年)の11月6日に碑の除幕を執り行うことができました。それ以来、毎年11月の6日を含む週の土曜日に法要を行っています」と、碑建立と法要の経過の報告をされました。

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私は、毎年、岩手県人会のみなさんとともに、阿弖流為・母禮の碑の法要に出席しています。そして、この碑の建立にも一役かいました。今回はそのお話です。

「日経新聞」の記事でも、松坂会長が、当時の様子を書かれ、私のことも紹介されています。

当時清水寺の勧学局長だった福岡精道師は、同じ岩手県出身という縁があり、藤本貞子元市議は東山区選出ということで大西真興師とはおなじみ。当時私は京都市会議員でしたから、そういうもろもろの縁によって要請がはじまりました。
阿弖流為の碑を造るにあたって、「朝廷軍は、蝦夷の住む胆沢(岩手県の現在の奥州市地地域)地方で戦った、蝦夷が京に攻め上ったのではない。朝廷軍対賊軍という見方は、今日ではそぐわないのでは」など議論が交わされました。その結果、もともと清水寺は田村麻呂が敵味方にこだわらずに供養する場として創建したのが始まりだったという話もありました。

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この点が、「朝日新聞」の記事の冒頭にも記述されており、感慨深いものがあります。

時あたかも、戦争法案が参院で議論されている。安倍政権は、中国脅威論を喧伝して、抑止力論をかざしているが、「しんぶん赤旗」日曜版に掲載された、森清範・清水寺貫主の言葉(下段に紹介)を参照してもらいたいものです。

「『抑止力』を強めるというが、力で出れば力で返されます。真の平和はそういうところにはあり得ません。太平洋戦争の口実は日本の『自存自衛』でした。そのために派兵すれば侵略であり、戦争であることは歴史が示しています。戦争による平和などあり得ません。遠いアメリカとの軍事同盟で、戦争への道を進むのではなく、アジア諸国と連帯し、歴史認識を含めて信頼を得ていくことが平和への大きな原動力となります。仏教は尊い『いのち』を粗末にすることを許しません。その最たるものが戦争です。戦争への道である集団的自衛権の行使を認める安保関連法案は廃案にすべきです」

さて、戦争法案を廃止への大きなうねりを岩手から!

上の写真は、碑をかたどった旗と森貫主、奥州市長の小沢昌記さんと私です。

下の写真は、「ミュージカル アテルイ--北の耀星」のわらび座の俳優のみなさん。左端がアテルイ役の戎本みろさん、右端が田村麻呂役の宮本昌明さんなど。