「山本宣治終焉の地(光榮館跡)」のプレートを訪ねる

2020年03月17日

 

16日、時間をつくって東京・千代田区の神田神保町にある東京山宣会が昨年、没90周年と生誕130周年を期に建立した「山本宣治終焉の地(光榮館跡)」のプレートに足を運びました。

山本宣治は、1928年の第1回普通選挙で、非合法化のもとでの活動を余儀なくされていた日本共産党から要請され、京都2区で労農党から立候補、当選。

治安維持法改悪反対を貫き、1929年の3月5日、国会で意見を述べる予定の前夜、東京都千代田区神田神保町の旅館で右翼の襲撃に遭い、凶刃に倒れました。

山宣 ひとり孤壘を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから」の言葉はあまりにも有名です。

山宣のお墓に刻まれ、その拓本は、日本共産党国会議員団の控室、もちろん私の国会事務所に飾られ、私たちの活動を見守っています。

 

P3160584 20200316 山宣プレート

 

 

P3160590 20200316 山宣プレート

 

P3160587 20200316 山宣プレート

 

DSC_1271 山本宣治終焉の地プレート案内

 

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3月7日付の「しんぶん赤旗」

3月5日は、政治革新運動の先達「山宣」こと山本宣治の命日で、宇治市善法墓地では150人が参加し「第91回 墓前祭」が行われ、「山宣の志を継ぎ、市民と野党の共闘を前進させ、安倍政権退陣へ力を尽くそう」と誓い合いました。

 

DSC_1304 20200316 3月7日付赤旗