阿弖流為(アテルイ)、母禮(モレ)の法要@清水寺

2019年11月10日

 

9日、少し肌寒さが感じる京都、清水寺の境内のなかにある、「北天の雄」と刻まれた石碑の前で、阿弖流為(アテルイ)、母禮(モレ)の法要が厳かに執り行われました。

 

阿弖流為 碑

 

写真下は、読経をする清水寺貫主の森清範師(前列中央)。

 

阿弖流為「 抱擁

 

私も、清水寺境内への阿弖流為、母禮の碑建立にかかわった一人として、毎年お参りしております。

 

阿弖流為 こくた

 

法要の参加者全員と森清範師と小沢昌記・奥州市長とご一緒に記念撮影。

まずは関西並びに京都奥州会のみなさん。今年は参加者も多いような感じがしました。

 

阿弖流為 全国

 

続いて、全国から参加されたみなさんと関係者

 

阿弖流為 京都

 

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今年は、「特別奉納」として私の郷土・岩手県の伝統芸能である「鬼剣舞」が行われており、大学の後輩でもある高橋さんと一緒に

 

阿弖流為 高橋

 

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以下、阿弖流為、母禮のいわれについて、「関西アレルイ・モレの会」のHPでの紹介文から、ごく短く要約して紹介します。

 

「奈良時代、朝廷は宮城県仙台市東北部に多賀城を築き、陸奥攻略の拠点としました。天平21年(749)、陸奥の国で初めて金が取れたこともあり、朝廷は多賀城を強化して蝦夷攻略を本格化し、宝亀5年(774)から弘仁2年(811)まで朝廷と蝦夷の「38年戦争」が続いたといわれます」「こうした中、延暦21年(802)、蝦夷の頭領アテルイと副将モレは征夷大将軍坂上田村麻呂公の勧めにより休戦に応じて上京。しかし、田村麻呂公の嘆願むなしく、二人は現枚方市にて斬首されました。」