30日は沖縄・宮森小学校米軍機墜落事故から60年

2019年06月30日

 

本日・6月30日は、アメリカの統治下の沖縄県石川市(現・うるま市)で発生した米空軍機墜落事故から60年を迎えます。

 

19590630 宮森小米軍機墜落事故③

 

1959年10時40分頃、米空軍機は操作不能となり、パイロットは脱出し、機体は民家をなぎ倒し、宮森小学校の屋根に衝突。校舎を直撃し、炎上しました。死者は小学生11人を含む17人、重軽傷者は210人。校舎3棟をはじめ、民家27棟、公民館1棟が全焼しました。

 

19590630 宮森小米軍機墜落事故②

 

事故当時、学校には児童・教職員ら100人がいて、全児童は校舎内にいました。直撃を受けた2年生の教ほ室では、火だるまになった子どもたちが水飲み場まで走り、そのまま息絶えたと伝えられています。

 

宮森小 仲良し地蔵①

 

宮森小学校の中庭には、犠牲となったら児童らを慰霊する「仲良し地蔵」が建立されており、毎年6月30日に追悼式が行われます。

 

宮森小 仲良し地蔵②

 

「仲良し地蔵」は、墜落事故から7回忌にあたる1965年に設置。事故のことを知った東京都の僧侶・佐藤日健氏が武者小路実篤氏にお願いし、地蔵の絵を描いてもらい、それを銅板にして寄贈。国場幸太郎氏らによって台座が建立され、当時の校長・故伊波信光氏が武者小路実篤氏に、平和教育に役立てたいと、お礼の手紙を送り、返信の中に「仲良し地蔵」の言葉があり、「仲良し地蔵」と名づけられました。

 

宮森小 仲良し地蔵③

 

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日本が第2次世界大戦で敗戦となった1945年、米軍は、沖縄を占領し統治下におきました。米軍は沖縄戦で沖縄に上陸した45年4月から性犯罪を起こしてきました。1965年4月20日には、宜野座村で米軍車両が6歳の女の子をひき殺す事故が発生。

1972年5月15日の沖縄「本土復帰」から47年。基地あるがゆえの米軍による性犯罪や暴行事件、米軍機の墜落事件や部品落下が今もなお繰り返し続いています。

 

赤嶺政賢議員は、2010年1月の衆院予算委員会で、自らの生い立ちに重ね合わせ、こうした基地があるゆえの苦難の歴史を紹介し、基地の“たらい回し”ではなく、基地の縮小・撤去をすすめることを政府に求めました。自らの出身地である旧小禄村具志(現那覇市)であった米軍による強権的な土地取り上げ、由美子ちゃん事件や宮森小学校への戦闘機墜落、国場君事件など県民が虫けらのように扱われた米軍による占領統治、「琉球住民」としてパスポートを持って本土の大学に通った学生時代を語り、沖縄の米軍基地問題の原点を紹介した質問を行いました。静かな語り口ではありましたが、鬼気迫る告発で、委員会室は水を打ったような状況でした。

 

一日も早く、普天間飛行場の即時無条件撤去を実行させ、名護市の辺野古への米軍新基地建設を中止させるために、全力を尽くします。この願いを実現するためにも安倍政権を打倒しなければなりません。

これから始まる参議院選挙では、沖縄選挙区・野党統一候補のタカラ鉄美さんの勝利を勝ち取りましょう。