詩人・尹東柱(ユンドンジュ)「記憶と和解の碑」建立一周年記念の集い

2018年10月21日

 

20日、宇治川上流の白虹橋右岸のたもとに、昨年建立された詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)「記憶と和解の碑」の建立一周年記念の集いに参加し、日本共産党を代表して、あいさつしました。写真は、碑をバックに「集い」の前に、左から、元精華大学教員で「使い捨て時代を考える会」の槌田劭さん、私、吳泰奎(オ・テギュ) ・駐大阪大韓民国総領事、安斎育郎・立命館大学名誉教授(詩人尹東柱「記憶と和解の碑」建立委員会代表)、金政弘・韓国民団京都府本部団長。

 

 

ユンドンジュ1

 

尹東柱「記憶と和解の碑」への献花の後、私は詩人尹東柱への思いを述べ、挨拶としました(最後に「あいさつ全文」を掲載しておきます)。

 

ゆん碑前 こくた

 

私の挨拶で紹介した、同志社の今出川キャンパスに建立された彼の「詩碑」(写真。今出川キャンパス西門からすぐ、明徳館の北)は、有名な「死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱(はじ)なきことを」の言葉ではじまっています。

 

同志社 ユンドンジュ碑

 

「集い」の最後に、参加者で記念写真を撮りました。多くのメディアも取材に来ていました。

 

ゆん碑 全体

 

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以下、私の挨拶全文です。

 

詩人尹東柱「記憶と和解の碑」建立一周年記念あいさつ

2018年10月20日  こくた 恵二

 

「詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)『記憶と和解の碑』建立一周年の集い」ご準備の関係者の皆さんと参加の皆さんに敬意を表します。

集いに際し、二七歳の若さで獄死した尹東柱氏をはじめ、日本軍国主義がおしすすめた侵略戦争と植民地支配の犠牲となった国内外の多くの人々に、深い哀悼の意を表します。

尹東柱氏は、戦前日本の稀代の悪法、治安維持法の犠牲者です。

この宇治市は、治安維持法に反対した労農党の代議士、後に日本共産党員の呼称を贈られた「山宣」こと山本宣治が生まれ、闘った地でもあります。

尹東柱氏は、いまや韓国では知らぬものなしの「国民的詩人」となりました。そして現在も、日韓友好、北東アジアの平和友好の架け橋として生き続けています。

昨年、「山宣」が教鞭をとった、同志社大学で、「尹東柱生誕一〇〇年」を記念する「献花式」が行われました。阪神大震災の年、同志社の今出川キャンパスに建立された彼の「詩碑」には、「死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱(はじ)なきことを」と書かれていますが、この詩碑には毎年一万人が訪れるとされています。

「記憶と和解」、時あたかも今年は、日本の侵略戦争と植民地支配を反省し、北東アジアの共同の未来を展望した「小渕恵三・金大中 日韓共同パートナーシップ宣言二〇周年の節目の年でもあります。

まさにこの年に、「集い」を、「南北会談」、「米朝会談」という朝鮮半島での平和の激動が始まる中で迎えることができたことを喜びとするものです。

朝鮮半島非核化と平和体制構築にむけたプロセスの始まり、対立から対話への大きな転換を目の当たりにしています。

対話による平和的解決の動きが成功をおさめれば、世界史の一大転換点となります。地域の情勢が一変し、「脅威」が「脅威」でなくなり、各国の関係も敵対から友好への大転換が起きるでしょう。
「北朝鮮の脅威」を口実に、安倍首相が進めてきた戦争法、辺野古新基地、憲法九条改定の根拠がすべて崩壊します。

私たち日本共産党は、戦争の惨禍、おびただしい犠牲と悲惨な体験をへて、日本国民が手にした憲法九条を守り抜き、憲法を生かした平和な日本と北東アジアでの平和友好体制を築くために全力をあげます。

また、安倍政権による憲法九条の改憲を阻止するために、「市民と野党の共闘」をさらに発展させるべく力を尽くします。「山宣」は、国会で、「現代ノ社会ニ於ケル九十七%ヲ占ムル所ノ無産者階級ノ」の政治を訴えました。また、尹東柱氏のご遺族の尹仁石(ユン・イソクリ氏は「人間の尊厳と平和を渇望する夢」について語りました。これらの精神を生かし、政治を国民の手に取り戻し、「新しい道」を歩もうではありませんか。