「第52回国領五一郎墓前祭」開催。ともに日本共産党の躍進を誓う

2015年03月15日

1928年3月15日、当時の天皇絶対の専制政治のもと、治安維持法違反容疑で民主主義と平和を求めて運動していた人々を一斉に検挙しました。いわゆる「3・15事件」の日。
日本共産党や労働農民党など、1600人が不当に検挙された日の今日、「第52回国領五一郎墓前祭」が,左京区黒谷・金戒光明寺の国領五一郎氏の墓前で行われました。

『墓前祭』は、「国領五一郎を顕彰する京都の会」(私も会員です)が毎年開催(以前は実行委員会でした)。
今年は、日本共産党から大河原としたか参議院予定候補、浜田よしゆき京都府会議員、井坂博文・とがし豊両京都市会議員が参加。大河原さんが追悼の言葉を述べました。井上さとし・倉林明子両参議院議員と私のメッセージが紹介されました。国領墓前祭
国領五一郎氏の命日は3月19日です。

国領五一郎氏は、京都”西陣”が生んだ日本共産党創立者の一人です。13歳で織物労働者になり、18歳で西陣織労働組合の結成に参加し、1923年1月1日に谷口善太郎氏(後の衆議院議員、日本共産党衆院議員団長)とともに京都の日本共産党を創立しました。

氏は、侵略戦争に反対し、民主主義・基本的人権をと、勇敢に闘いました。野蛮な弾圧を受け、14年の獄中生活の後、戦争が終わる前、1943年堺刑務所で40歳の若さで獄死しています。

獄中でも闘い、「来るべき戦争が,欧州戦争に数倍・数十倍の残忍性を持ち、むごたらしい犠牲を世界人類の上に強要すること」を警告し、戦争反対を高らかに宣言しました。どんな境遇にあっても母親をいたわることを忘れず、人間性豊かで、几帳面、勉強熱心な五一郎は、多くの人々に慕われていました。

獄中において、「未来は光明に満ちあふれている」と、どんな困難な時にも、不屈性、楽天性を持ち続けた国領五一郎氏の思想と活動は、西陣労働者をはじめ多くの人々に、しっかりと受け継がれています。
京都市北区、上京区を中心とした西陣では、私が日本共産党に勤務している時代、「五一郎さんをかくまった」「気さくな人だったよ」と話を伝えてくれた方がおられたものです。
いま私たちは、国領さんの遺志を受け継ぎ、「戦争する国づくり」反対の先頭に立ち、来るべきいっせい地方選挙で日本共産党の前進のために奮闘することを誓うものです、

 

kokuryou pannfu