こくたが駆く

佐藤昭夫元参議院議員逝去を心から悼む

071026佐藤「昭さん」こと佐藤昭夫元参議院議員が23日逝去されました。
 1977年から89年まで京都選挙区選出参議院議員をつとめた大先輩です。
 1977年当時は、”河賢”こと河田賢治さん、”神信”こと神谷信之助さんの3人が京都を基盤とした参議院議員で活躍されていた。
 1989年の参院選挙は、中国の天安門事件を利用した反共攻撃に真正面から立ち向かった闘いであったが、残念ながら敗れた。 私は京都市会議員としてともに奮闘した。
 何はともあれ、お通夜に参列し心からの冥福をお祈りした。

*京都府委員会の倉庫から探し出してもらった写真。おそらく80年代中頃・ 1月1日元旦に山宣の墓前で撮られたもの、真ん中が佐藤昭夫さん。右が寺前巌さん、左は神谷信之助さん。

 以下、私のおくった弔文を掲載します。

  

  「昭さん」 と京都の多くの人々は親しみを込めて呼びました。
 私ども後輩は、 「河賢」「神信」「昭さん」と3人の参院議員を京都が同時期送り出していたことを常に誇りにしていました。
 40人学級や学校施設の安全問題は、他の追随を許さない追及でした。
 反動には厳しい対応、味方には眼鏡の奥に優しいまなざし。一緒に闘った選挙戦が忘れられません。 天国で好きな酒を三人で酌み交わしてください。
 志を継ぎ国政選挙での勝利めざして奮闘することをお誓いしお別れの言葉といたします。

  それにしても、良い写真が見つかったものだ。倉庫の奥で、未整理の箱の中から3時間かかって「発掘」したのだそうだ。 正確な撮影日が不明なのが残念だが「佐藤さんを中心に撮っているので佐藤さんの2期目の選挙を控えた83年元旦なのではないか?」 というのが私の推理だ。
 情報をお持ちの方は、コメント欄に情報提供をお願いします。

 

| コメント (5) | トラックバック (0) | Update: 2007/10/26

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kokuta-keiji.jp/mt/mt-tb.cgi/475

コメント

京都出身の国会議員さんが大活躍されていたからこそ、京都の厚い基盤がつくられたのですね。
昭さんが両手をあわせておられるのが、いっそう感慨深いです。

 岳司さん。メールありがとうございます。
 国会議員を送り出していただいた京都の府・市民の良識と力があればこそ、活躍もできたということもあります。京都の底力に感謝するものです。
 さて、京都府委員会の倉庫でこの写真を見つけるのに3時間も探したのだそうです。
 その中で、3人の議員とさらに、藤原ひろ子、梅田勝両衆院議員、河田賢治、近藤忠孝両参院議員の、京都に所縁の7人が一同に会した写真があったそうです。
 機会があればまた載せます。

 佐藤昭夫の娘(二女)です。父の通夜、告別式には多くの方がご参列下さいまして、ありがとうございました。
 また、懐かしい写真を探し出していただいたようで、嬉しく思います。「革新は京都から」と言われていた時を思い出します。母は、父が国会で活躍していたときの写真を引っ張り出し、霊前に飾っております。父の書いた最後の原稿も見つかりました。2001年7月参議院選挙に向けてのメッセージです。「お父さんが一番輝いていた時やもの・・・」確かにそうかもしれません。
「政治は変えることができます」そう言っていた父を、私たち家族は誇りに思います。ありがとうございました。


佐藤昭夫の娘です。お通夜には400名が、そして告別式は約300名もの方々がお越しいただき、父を送っていただきました。届いた弔電の数もすごかったです。告別式では、志位さん、市田さん、こくたさんの弔電を読み上げていただきました。心を込めたお言葉に、涙がこぼれました。沢山の皆様に押し上げられ、参議院議員として輝いていたその当時の写真を遺影として、飾りました。こくたさん、こんなに貴重な写真を紹介していただいて、ありがとうございます。そして、3時間も探してくださった府委員会の方に感謝申し上げます。
山崎眞理子2007.10.30

中島彰子さま、山崎眞理子さま。わざわざのメールありがとうございます。
 ご家族の悲しみはいかばかりかと存じます。
 でも多くの方々のご参列で「昭さん」も喜んでおられると思います。

 写真は、私の秘書の小林さんと府委員会宣伝部の中森さんが探してくれました。「良いのがないか」と探しているうちに時間は3時間以上にもなっていたとのことでした。私自身もありがたかったと感謝しています。

 実はそのとき、三人と、藤原ひろ子衆院議員、梅田勝衆院議員、河田賢治参院議員、近藤忠孝参院議員の7名の写真が見つかったんだそうです。京都関係者の全議員の揃い踏みなんです。何時頃でしょうね。
 今度はその時期を確定するために皆さんに提供し、ご意見を伺おうかなと思っています。
 「昭さん」は、もともとお酒は嗜まなかったとお聞きします。でもノンベーの神谷さんや河田さんとのお付き合いで「好き」になったのでしょうか?
 最後の原稿コピーなどいただければ幸いです。

 政局がいよいよ混乱してきました。私どもは国民の意思・審判にもとづく政治を堂々と前に進めるために頑張るのみです。「昭さん」をはじめ、先人に学んで歴史を創っていきたいと存じます。あらためてご冥福を祈りつつ

コメントを投稿

(コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になります。承認されるまではコメントは表示されません。すぐに表示されないからといって何回も投稿せずにしばらくお待ちくださいますようよろしくお願いします。)