こくたが駆く

文化財保護について、壇王法林寺の信ケ原雅文住職と懇談//京都の繁華街・木屋町の小路に呼び名。木屋町共栄会の塩山大介会長から話を伺う

P1010012    17日、かつては「屏風寺」とも言われた壇王法林寺を訪問。
   10年前に見つかった「源氏物語屏風」が、「芸術的にも学術的にも価値が高い」と、このほど文化財団の助成を受けて解体修理されることになりました。
   壇王法林寺は、8月6日の「原爆忌」でよく訪れていました。
   当日は、文化財保護について信ケ原雅文住職と、ゆっくり時間をとって懇談。
   写真は、同寺を開いた袋中上人に、琉球王朝の尚寧王が贈った宝物の一つ、「黒漆塗楼閣人物飾棚」の説明を受けているところです。
   ちなみに、袋中上人が沖縄に伝えた念仏踊りが、今日の「エイサー」のもとになっているとのことはご承知でしたか?
   また、上人の生まれが福島とのことで、沖縄や福島との縁も感じることができました。

 

   京都の繁華街・木屋町の街づくりについて、木屋町共栄会の塩山大介会長から話をうかがいました。

P1010015   木屋町にあった立誠小学校が廃校の後、町おこしのために、知恵を出し、防犯パトロールや清掃活動、路上看板の撤去など取り組んでこられました。

   そのとき出た最後の課題が、木屋町の9つの小路に名前をつけること。
   一帯は、豪商角倉了以が私財を投じて開墾した、二条から伏見までの運河「高瀬川」の船入り場を中心に発展した街。
また、幕末の史跡が多いところでも知られる木屋町である。
   伏見にある同名の「竜馬通」の名前をつけることについての協議や、観光標識としての一体感を出すためのご苦労の後、昨年には”呼び名”が決まり、このたびその標識も完成しました(写真は南車屋通の標識)。
   北から、龍馬橋、八之舟入通等々、風情のあること。一度、京都においで頂きご覧になってください。

   塩山会長は「鴨川と高瀬川、素晴らしい飲食店もあります。モノづくりとその販売でも賑わい、食事や喫茶でくつろげる街にしたい。新しい通り名をPRして魅力の一つに」と、町おこしについて熱っぽく語られました。

   また、木屋町は、レッツダンス運動の中心地で、クラブも集中しています。四月の桜祭りには、クラブのメンバーも参加して、祭りを盛り上げる相談も進んでいます。

 

| コメント (2) | トラックバック (0) | Update: 2013/02/18

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コメント

 18日の「TVタックル」カウントしましたので・・。
 自民・塩崎;13回、平沢;6回、民主原口;9回、尾山;8回、須田;11回、上念;6回、荻原;8回、大竹;6回、共産穀田;6回でした。
 今回は、発言少なかったですか??カットされました??途中、喋らせてオーラがでてましたけどね(笑い)。
 回数は少なかったものの、強烈な存在感とインパクトはあったのでは??と思っています。お疲れ様でした。

 ドラミさん、激励メールありがとうございます。
 いつも発言回数のカウントいただき感謝します。
 前半の時事問題みたいなところは、収録の時25分ぐらいかけたかもしれません。その時は少なかったかもしれません。
 インパクトといわれると態度が大きいように見えたのかもしれないなと恐縮しているところです。

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