こくたが駆く

京都腎臓病患者協議会第41回総会が開かれる//京都解放運動戦士の碑合祀追悼祭が知恩院でしめやかに//被災地訪問・調査続報。

DSCN3466 今年の9月26日で40周年を迎える京都腎臓病患者協議会(略称「京腎協)の第41回総会が、8日、京都市内で開催されました。

昨年は、私も親しくさせていただいた、京腎協事務局長、副会長、相談役が亡くなられるという会にとっても大変な一年であったこと。また東日本大震災で多くの腎臓病の仲間が住み慣れた地を離れ、慣れない場所で透析を受けていること。京都においては、夜間透析の確保の困難な地域が生まれてきていることなど会長より報告がされました。

そして、臓器移植をめぐる課題や、患者の高齢化に伴う通園支援や認知症患者の透析困難などの課題が浮き彫りになりました。写真は報告を行う梅田保夫会長です。

日本共産党から井上哲士参議院議員、そして私の秘書の神原郁己さんが参加しました。総会資料をじっくり読んで、みなさんの切実な願いの実現に向けてがんばります。

 

DSCN3468

京都解放運動戦士の碑のある知恩院で、第56回京都解放運動戦士の碑合祀追悼祭が行われました。

今年の合祀者は、西山秀尚元京都府会議員団長ら51名。合祀者は銘板に名前が刻まれ碑に納められますが、今年で計2503名となりました。

新たな遺族のみなさんはじめたくさんのみなさんが知恩院の講堂で、生前の活動を偲び、解放運動の前進を誓い合いました。(これまた、日本共産党の東日本大震災被災地訪問・調査を行なっている私の代理として秘書の神原郁巳さんに参加してもらいました)

 

日本共産党東日本大震災被災地訪問・調査団は、7日には、岩手県陸前高田市、同県釜石市、宮古市に入りました。
陸前高田市では、戸羽太市長、釜石市では野田武則市長、宮古市では、山本正徳市長と懇談しました。三市長からは被災者の現状、救援、復旧、復興のための取り組みなど生活再建への切実な要望が出されました。

陸前高田市では、日本共産党員の中里長門前市長の自宅を訪問。その後海辺の市街地を視察。さらに市内の東部農協センターで、各地の避難所から集まった住民と青空懇談。

釜石市では、現在60数人が避難生活を送る旧釜石商業高校の避難所を訪れ、被災者と懇談しました。この避難所は北九州市職員の方々が支援体制をとっていました。

宮古市では、岩手県漁連の大井誠治会長と宮古漁協で懇談しました。

8日は、宮城県の石巻市を訪れ、亀山紘市長、市の幹部と懇談しました。さらに石巻商工会議所で、浅野亨会頭ら多くの会員の皆さんと懇談しました。(詳細は後日)

 

| コメント (2) | トラックバック (0) | Update: 2011/05/08

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コメント

お久し振りです。

被災地に行ったとのこと、お疲れ様でした。各被災地はゆっくりと前を歩いているような感じですがまだまだ難儀をしている方々も多いので、全員に行き渡るよう国も支援しないと町そのものが崩壊してしまいます。被災地の方々は一日千秋の思いで待っているのですから。


陸前高田市の惨状は目を覆うばかりです。こくたさんも住んだことがある土地ですから思い入れも多いと思います。亡くなられた及川一郎議員はこくたさんと同年代ですし高田松原も一本だけ残って再起のシンボルとなっています。こくたさんの想いを語って頂ければ幸いです。

 博多の弾丸ファイターさんお久しぶりです。
 陸前高田で住まいしたのは、小学校3.4年生の時でした。 高田での演説会の際、私の一番記憶にある「高田松原」の案内をしていただいたのが及川一郎市会議員でした。そればかりでなく、私自身もあまり覚えていないのですが当時の同級生を参加で懇談会まで開催してくれました。
 本当に面倒見の良い方でした。
 大津波の中で、自分の身を犠牲にして、最後まで住民の救援にあたった誇るべき方です。
 かつては、7万本の名勝高田松原の松は、一本しか残っていません。
 しっかり眼に焼き付け、及川一郎さんを偲びました。
 生前の及川さんの奮闘に応え、住民の生活再建、まちの再生めざして頑張りたいと思います。

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