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亀井静香・国民新党代表が、「救援・復興の意思決定機関」設置問題で、日本共産党に参加を要請。市田書記局長は「復興、原発などは、各党間に大きな意見の相違がある」と指摘。

DSCN3155使用

18日、亀井静香・国民新党代表が、日本共産党を訪れ、「東日本大震災の救援・復興に関して菅首相を本部長に、各政党党首クラスによる意思決定機関をつくりたい。ついては日本共産党にも参加してほしい」と要請しました。国民新党からは、下地幹郎幹事長・国対委員長が同席。

日本共産党側は、市田忠義書記局長と私が応対しました。

亀井氏からの要請に、市田氏は「被災者の救援、原子力発電の危機回避という点では、与野党の立場を超えて政府と協力する立場だが、復興という段階になると中身や、進め方、さらには財源、原発・エネルギー政策など各党間で大きく違う」と指摘。

私も、「阪神・淡路大震災の際も、復興をめぐって、生活とコミュニティの再建が基礎との意見と神戸空港建設、高速道路の建設優先との鋭い対決があった。と述べました。

さらに、市田氏は、「政府与党として方向を提示し、もちろん私たちも対案を提案するが、それを国会の場で議論していくのが常道だ。亀井氏の提案は事実上の大連立に近い感じがする」と述べ、「正式には、党として検討しあらためて態度を表明したい」と語りました。

 

| コメント (2) | トラックバック (0) | Update: 2011/04/18

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コメント

穀田さん、毎日の獅子奮迅の活躍、ご苦労様です。
是非読んでいただきたい文章が河北新報に載ったので書き込みします。

仙台在住の「邂逅の森」で直木賞を取られた熊谷達也氏の寄稿です。


引用開始

3月11日の巨大地震と大津波以後、「想定外」あるいは、「想定を超える」という言葉が、この国ではどれだけ飛び交ったことか。メディアを通してそれを耳にするたびに、最初から私は腹が立って仕方がなかったし、いまだに腹立ちは続いている。

沿岸部の被災地の人々は、あるいは、私を含め、東北に生きることで同じ痛みを抱え、困難な未来を共に引き受けようと覚悟している者は、誰ひとりとして「想定外」という言葉は口にしていない。たとえ確かにそうだと思っていても、目の当たりにした数々の光景はそんな簡単な一言でかたずけられるはずがなく、無言を貫くか、懸命になって違う言葉を探そうとするかの、どちらかだ。

人間は何をどう想定しようと、人智をはるかに超えた力を、時に暴力という形で解き放つのが自然だということを、私たち東北人は誰に教えられることなく知っている。

だからこそ私たち東北人は、自然に対して謙虚に向き合い、その厳しさに耐えることを陶然として生き続けてきた。だから今回の震災に対しても、失ったもののあまりの大きさに嘆きこそすれ、恨むことはしていない。ただ黙々とその日に出来ることをひとつずつ積み重ね、日常を取り戻すための辛抱をするだけだ。


だが、内に抱える腹立ちや怒りを、今回ばかりは、遠慮せずに言葉にしてもいいのではないか。それほど、東京を中心とした首都圏から発信される言葉は、下品なまでに卑しく、呆れ果てるものが多いいからだ。ここまで言葉に傷つけられ、それでも黙っていることは、もうできない。今回だけは、東北人はキレていい。誰もキレなくても、私はキレる。

たとえば震災直後、大きな決断をしました、と言わんばかりに「2万人の自衛隊員を派遣する」と発表したこの国の政府。その後すぐに「5万」と変更したと思うが、冗談じゃない。被災地にいる我々は、2万はおろか5万だって全然足りない、最低でも10万は必要だと、誰もが直感的に思ったはずだ。

メディアがこぞって原発事故ばかりを騒ぎ立てているあいだにも、助けようとしたらたすけられたかもしれない命が、瓦礫の下でどれだけの数、失われていったことか。

暴走しようとする原発を宥めるべく、現場に身を置き続ける作業員や自衛隊員、消防隊員には敬意を払う。
しかし、冷たい雪になぶられる瓦礫を、為すすべもなく見つめるしかなかった私たちには、東京の放射線騒ぎや計画停電なんかどうでもよかった。
燃料の尽きた底冷えする避難所で空腹を抱えていた被災者はもちろん、同じ寒風の下で幼い子供の手を引き、愚痴をもらさず何時間もスーパーマーケットに並んでいた仙台市民も、東京での馬鹿騒ぎに対して、いい加減にしろっ、と心の内では吐き捨てていた。


東京に電気を送るために、私たちは進ん原発を引き受けたのではない。原発なんかなくても暮らすことはできた。原発がなくては暮らせないように東北の村を作り変えたのは、首都圏のエゴイズムだ。

今度原発を作るときには、東京湾に作ればいい。原発道路なんか私たちには必要ない。

あるいは、今後は津波のこない場所に町を再建すべきだと、訳知り顔で言ってのける者もいる。
何度津波が来ようと、海のそばでしか暮らせない人々の、海のそばで暮らしたい人々の、その気持ちがなぜわからない。いつも海を見ていたい人々の心の在り方に、どうして思いが至らないのか。

もちろん東京にだって、私たちの痛みを同じ視線で共有しようとしてくれている人々がいることを、一緒に痛みを引き受けようとしてくれている人々が沢山いることを、私たちは知っている。

それには素直に感謝している。しかし、それを差し引いても、私の腹立ちが治まる気配は一向にない。「想定外」などという、想像力のかけらもない安易な言葉に、これ以上傷つけられるのはもう沢山だ。

 ダルマパパさんいつもメールありがとうございます。
 お体の具合は、その後いかがですか?

 熊谷氏の寄稿の書き込み読みました。
 思いは痛いほどわかります。特に私も「想定外」という言葉は許せません。
 東電などの、責任から逃げる言葉でしかありません。
 何故なら、実際に、地震津波で冷却装置の機能喪失や電源の問題を指摘し、安全対策をとることを求めていた吉井英勝議員がいたのです。
 あえて無視し、「安全神話」をふりまいていた東電などへの怒りはおさまりません。
 いまだ被災地は、必死の救援が必要です。

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