宮﨑厚労副大臣に「浮島丸事件」乗船者名簿の開示を申し入れ、懇談
2024年07月12日
7月11日、宮﨑政久厚労副大臣に「浮島丸事件」乗船名簿等の開示等を申し入れし、懇談しました。
私は、5月31日の外務委員会で、浮島丸事件の乗船者名簿の問題を取り上げました。
その後の進捗状況を踏まえて、①名簿のリストを提出、②名簿等の保管資料現物の閲覧、③韓国政府の名簿等の提出の協力要請に応じて、マスキングを外した名簿の提供をすべきだ。の三点を申し入れました。
懇談を通じて、いくつか明らかになり、前向きの対応がありました。
1つは、5月末の質疑で宮崎副大臣は、名簿は「おおむね70ぐらいはある」と答弁しましたが、厚生労働省として精査した結果、乗船者が記された名簿は75種保有していることが新たに判明しました。
2つは、名簿のリストについては、「適切に伝えられるように手配を整えている」と明らかにした点です。
3つは、マスキングを外した名簿の提供問題です。私は、マスキングした文書を開示しても、真の意味での「提供」にはならない。外すのは当然だと主張しました。
宮﨑氏は、マスキングを外すことについて、「外務省にも伝え、適切な判断が出来るようにリードしていきたい」と応じました。
懇談の最初に、宮﨑氏の答弁姿勢について次のように述べました。
「5月末の質疑で乗船者名簿に類する関連文書の存在をただしたことに対して、宮﨑副大臣が『質問いただいて、保管資料を、現物を見ました』と、前夜の質問通告後に実際に現物を確かめて答弁したことを積極的に評価したい」。
それであるからこそ、事実を明らかにするために申し入れにそって、努力していただきたいと強調しました。
さらに、浮島丸乗船者は徴用などの強制動員がなければ事故には遭っていなかったもの。名簿等の提供は「日韓双方にとって非常に大事なことだ」と述べました。
宮崎氏は、「政府の戦争遂行によって命を絶たれた人がいる以上、遺族や関係者に誠実な対応が必要だ」として、今回の申し入れを受け止め、「厚労省もしっかりやらなければならない」と応じました。
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※ 浮島丸事件とは、強制連行された朝鮮人労働者らを乗せた旧日本海軍輸送船「浮島丸」が1945年8月24日、京都府の舞鶴港で爆発、沈没し500人以上が死亡した事件です。
19992年には、事件の真相解明や謝罪、補償を求めた国家賠償請求訴訟が行われました。原告の遺族らが「乗船名簿や名簿に関する資料」の開示を求めましたが、日本政府は「存在は確認されていない」と説明してきました。
私は、情報公開請求に基づいて開示した資料を厚労省に提出させた名簿3種は、氏名や生年月日、職種、本籍地、徴用年次などが塗りつぶされていました。