外務委質問。「浮島丸」乗船者資料 70 点あることが判明。
2024年06月3日
報告です。31日の外務委員会で、戦争直後、強制連行された朝鮮人労働者らを乗せた旧日本海軍輸送船「浮島丸」が舞鶴港で爆発し500人以上が死亡した浮島丸乗船者名簿問題を取り上げました。
浮島丸は、1945年8月22日に青森県大湊港を出発し釜山に向かって、24日に爆発したのですが、遺族の方々等が乗船者名簿の公開を求めていました。
私の資料要求に、厚労省は情報公開請求に基づいて開示した、(1)青森県の大湊海軍施設部の「乗船名簿」(2429人分、45年8月24日)(2)大湊海軍施設部第4部隊長の「船乗者名簿の件報告」(333人分、同19日)(3)日本通運社大湊支店の「浮島丸乗船朝鮮人名簿」(144人分、同22日)の3点を提出(下段にその一部を資料として委員会に提出分を掲示しました)。
3つの資料には、氏名や生年月日、職種、本籍地、徴用年次などはマスキングされ隠されています。
- 私は、「(浮島丸に関する)『名簿』と名が付く、資料は他にあるのか」とただすと、宮崎政久厚労副大臣は、乗船者が記された名簿を、現時点で約70点保有していることを確認したと明らかにしました。
他にも、名簿と称する書類があったことが判明したのです。
事件の真相究明や謝罪、補償を求めた国家賠償請求訴訟(92年)では、原告である遺族らが「乗船名簿や名簿に類する資料」の開示を求めましたが、日本政府は「存在は確認されていない」と説明してきました。
私は、開示された名簿について「原告に対し、なぜ見当たらないと説明してきたのか」と追及。
宮崎氏は「乗船を予定している人が記載された名簿であり、乗船者名簿ではない」と強弁するではありませんか。
まさしく詭弁以外の何物でもありません。
遺族の方々らは、「名簿の類する」ものと、はっきり主張していたのです。
最後に、私は、「これまで政府が、韓国政府からの要請を受けて朝鮮人徴用者の名簿を引き渡した前例がある」「韓国政府から要請があれば、今回開示した名簿も提供するのか」とただすと、上川陽子外相は「両国間でのやりとりは承知している」と答えました。
私は、「遺族は”乗船者名簿”を望んでおり、提供するのが筋だ。名簿を明らかにすることは犠牲者に対する最低限の礼儀だ」と強調しました。
200頁近い、浮島丸乗船者名簿を掲げて質問する私。
名簿は、役70点もあったと答弁する、宮崎副大臣。
「日韓両国間のやり取りは承知している」と答弁する上川外務大臣。
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