【年末年始の先達の墓詣で⑤】谷口善太郎@大谷祖廟、国領五一郎@金戒光明寺

2024年01月2日

報告です。年末年始の先達のお墓参りの最後は、京都1区の先達でもある谷口善太郎氏(大谷祖廟)と国領五一郎氏(大本山 金戒光明寺)のお墓。

かつて、蜷川虎三元京都府知事が「京のまち京のひと谷善の顔がある」と詠んだ谷口善太郎のお墓には、傍らに「不封己」と書いた碑があります。これは、杜甫の「チシャを植える」のなかにある「道を守って己(おのれ)を 封(あつ)うせず」の一句ですが、共産主義者たるもの利己心があってはならないという意味です。もちろん、杜甫は共産主義者ではなかったから、彼のいう「道」は別のことですが、「己を封うせず」という精神は、私たちと共通するものです。

 

 

この谷口善太郎をして「私は国領君と親しくなるにつれて、この自分より若い国領君から終始教えを受けた。とくに革命家はどうあるべきかというたいせつな問題で国領君の人格から強い影響を受けた」と言わしめた国領五一郎

京都西陣で生まれた。13才で織物労働者となり英語、経済学、社会学を独学で学び1921年、18才で西陣織物労組結成に参加、相次ぐ労働争議を総同盟京都連合会(後の日本労働組合評議会)幹部として先頭に立ち、1923年、谷口善太郎らと京都の共産党を結成した一人で、文字通り私の大先達です。