「又市征治さんお別れの会」に参列。市田副委員長があいさつ。 

2023年12月17日

 

報告です。16日、東京で開かれた「又市征治さんお別れの会」と「語る会」の参列しました。

又市さんは、参議院議員3期、その間、社民党幹事長、党首を歴任。最後は立憲民主党の所属しました。

 

 

「会」の呼びかけは、泉健太(立憲民主党代表)、村山富市(元内閣総理大臣)、枝野幸男(立憲民主党前代表)石上千博(自治労中央執行委員長)、吉田忠智(元参院議員)、伊藤修(埼玉大学名誉教授)、吉川元(衆院議員)の各氏です。

呼びかけ人代表のあいさつは、吉田忠智(社民フォーラム代表/前参院議員)が行いました。
日本共産党からは、市田忠義党副委員長・前参院議員、井上哲士参院議員・党参院国対委員長と私が参列し、故人を偲びました。

 

 

 

共産党を代表して、市田氏が以下のようにあいさつしました。

 

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「又市征治さんが社民党の幹事長だった時に、私は日本共産党の書記局長でした。ですから、野党の書記局長・幹事長会談や、テレビの政党討論会(NHKの日曜討論、フジの報道2001、テレ朝のサンデー・プロジェクトなど)でよくご一緒しました。

いかにも労働者出身らしい気骨溢れる政治家という印象でした。

ご家族の話によると、亡くなる二日前、労働者の闘いに思いを馳せつつ、『原稿を書きたいのでパソコンを持ってきてくれ』と言われたそうです。最後まで労働者魂を発揮されたのが又市征治さんでした。

また、野党の結束・協力に一貫して力を注がれました。2017年の総選挙の直前、『希望の党』騒動が起こり、野党共闘に暗雲がたれこめました。その時、又市さんは、即座に動かれ、社民党と日本共産党の共闘、できるだけ多くの選挙区で候補者の一本化、で合意しました。共闘の危機を救ったのです。その後、立憲民主党が立ち上げられ、共闘破壊の策動を許しませんでした。
市民と野党の共闘前進のために又市さんが果たされた役割は、大変大きなものがありました。
最後にもう一つ。参議院の矜持を内外に示されたことです。予算とともに、貴重な国民の税金の使われ方のチェックが大切だというので、決算を重視されたのです。二院制の下での、参議院の行政監視機能の発揮が大事だと、決算委員会で毎回質問され、参議院の役割を世に知らしめたという点でも大きな功績を残しました。
私は昨年参議院議員を引退しました。まもなく81歳になります。又市さんは、議員勇退後も、生涯現役の立場で、自由と平和、民主主義にために力を尽くされました。
又市征治さんの遺志を受け継ぎ、私も生ある限り頑張ることをお誓いし、お別れの言葉とします。」