日本共産党京都府委員会「『京都府党100年のあゆみ』刊行記念のつどい」であいさつ

2023年01月9日

 

報告です。7日、「『京都府党100年のあゆみ』刊行記念のつどい」に参加し、自らの経験と活動を改めて振り返りながら発言しました(発言の大要を最後にアップしておきます)。

 

 

刊行のつどいは、倉林明子参院議員、地坂拓晃・府党書記長の司会で倉林議員が開会あいさつを行いました。

 

 

続いて、渡辺和俊京都府委員長が「府党100年の歴史に学び、再び『日本の夜明けは京都から』」と題して、記念講演。新しい「100年史」の特徴について報告。今回、ほぼ全面的に書き換えたことや、その際、京都府党の60年史や80年史では不十分であった「ジェンダー平等」の視点を各章に貫き、時代時代の女性党員の活動に光を当て直したこと、京都府党が困難に直面しつつ前進をかちとってきたのか、その内容と特徴などを紹介しました。

 

 

市田忠義副委員長からのメッセージ動画が流され、参加した各界の代表のみなさんからは心温まるメッセージをいただきました。
堀雅晴・立命館大学教授、中村和雄・弁護士、細見健司・京都建築事務所社長、梶川憲・京都総評議長、西山登紀子・元参院議員、白坂有子・ユナイト京都事務局、斉藤敏康・立命館大学名誉教授、中島亮・弁護士、寺島拓人・民青同盟京都府委員長、魚山英子・新日本婦人の会京都府本部会長。

閉会のあいさつは、井上哲士参院議員が行いました。

 

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以下、私の発言の大要を紹介します。是非、一読いただき、本体の『京都府党100年のあゆみ』(1,000円)もお買い求めいただいて、一読いただければ幸いです。

 

 

一、1923年1月1日、上京区成逸学区堅社北半町(たてやしろきたはんちょう)辻井民之助宅で、京都の日本共産党が誕生して以来、今年で 100年を迎えました。
この100年間、党を育み、支え、成長させていただいた京都府民のみなさんに感謝申し上げたい。このような冊子を世に出すことができたのはひとえに、府民のみなさんのおかげです。同時に冊子作成に尽力されたスタッフ、協力いただいた多くのみなさんにお礼を述べたい。次の100年も府民と共に歩んでいく決意です。

一、私は、改めて竪社北半町を訪ねて参りました。地蔵盆を行うお地蔵さんが祀られています。清水焼労働者の谷口善太郎氏、西陣織労働者の国領五一郎氏、まさに京都の地場産業の労働者によってつくられた党です。多くの有名・無名の共産党員を輩出してきました。
その先達の奮闘に学び決意を新たにしたい。

一、革命運動の先達の墓を詣でることを慣わしとしている。
年末から年始にかけて、山本宣治、河上肇、蜷川虎三、谷口善太郎、国領五一郎各氏のお墓と京都解放戦士の碑を詣でています。1990年10月に国政候補者になって翌年から続けています。
私は、1965年立命館大学に入学し、当時の学生平和委員会に加入し、「12・8不戦のつどい」を取り組みました。
清水焼の窯元に無料で焼物を提供していただき大八車で運びバザーで活動資金集めも行いました。その際、蜷川虎三京都府知事末川博立命館大学総長、住谷悦治同志社大学総長、清水寺管主大西良慶師の色紙も販売しました。みなさん快く協力してくれました。今思えば四氏の色紙を持っていたら良かったなと思うこの頃です。
「地方政治の灯台」とメディアは評しました。私は1977年版の「ポケット憲法」を所持し年始には、憲法を読むことを常としています。

山宣の演説の一節「山宣ひとり孤壘を守る だが私は淋しくない 背後には 大衆が支持してゐるから」の文言を記した拓本は、日本共産党国会議員団控室に飾られており、わが議員団を励まし見守っています。

谷善は、ご承知の通り、虎さんをして「京のまち 京のひと 谷善の顔がある」と詠ましめた著名なプロレタリア作家であり、日本共産党衆院議員団長。山宣を描いた「武器なき斗い」に登場する宇野重吉演ずる「谷」氏です。
旧京都一区で、党の複数議席獲得を提唱した革命的開拓者精神に満ちた先輩です。色紙「風満堂」の色紙は所有しています。

国領は、1928年特高警察によって逮捕、14年の獄中生活を送り、1943年の堺刑務所にて獄死。獄中で「未来は光明に満ちあふれている」「面白い、意義ある時代に生きている」と、喝破し、科学的社会主義の理論に基づき不屈性を示した先達。2005年には「国領五一郎を顕彰する京都の会」が結成されています。

法然院に眠る河上肇、「人はパンのみにて生きるに非ず、されど又パンなくして人は生くるに非ず」の書き出しで始まる「貧乏物語」への序文が良く知られている著名なマルクス経済学者です。万葉仮名で記された墓碑には「たどりつき ふりかえれみれば やまかわを こえてはこえてきつるものかな」と記されています。これは日本共産党に入党した喜びを書いたもので、日本共産党京都市会議員団に飾られています。

京都解放戦士の碑
は、1958年3月15日、法然院の敷地に、平和・民主運動に尽くされた京都に所縁のある有名・無名の方々を合祀し偉業を顕彰するために建立。永代供養に至るには、総本山知恩院の当時の井川教学部長と田村敬男氏の尽力がありました。「赤旗が林立する」との反対論に対して「開祖法然上人の宗難を想起せよ。上人は時の権力者と闘って島流しされた方であろう。いま戦前あの苦しい時代に、赤といわれ親兄弟にも見離され権力者の手で投獄され、その果てに虚しくは息絶えた方々がこの敷地を慕ってここに魂の永遠の眠りの地を求めてきた法縁を想って見るがいい。この人々の霊をなぐさめることこそ開祖に答える遺弟の道ではないか」と井川氏は述べ実現したと田村敬男氏は語っています。
昨日、知恩院の御礼式に招待を受けて出席しました。伊藤唯眞門跡は「いのちが一番大切。命を奪う戦争は間違いである。平和を」と新年の辞を述べました。

一、自分の党活動と党歴に重ねて読んでいただき、闘志を燃やし、挑戦しよう。
京都では共産党員は草の根で深く大きく根付いています。営々と「党づくり」に励み、日本一の党をめざしてきました。「日本の夜明けは京都から」のスローガンが提起され、京都の党の合言葉になったのです。
党員・機関紙の人口比・有権者比率で日本一を実現。「質量ともに日本一の党」をつくってきたことが、京都における前進を保証してきました。この教訓に学んで、第七回中央委員会総会が提起した二八回党大会比130%の党づくりの先頭に立とうではありませんか。

「日本共産党なかりせば」と、党を語っていこうではありませんか。「戦争への道か、憲法に基づく平和の道か」が問われる歴史的岐路にたつ日本。反戦平和の党日本共産党の出番の情勢、勇躍奮闘しようではありませんか。「日本の夜明けは京都から」!