元府会議員、本野哲郎さん逝去。歴史を開いた先人に感謝を捧げ、参院選の勝利を誓う!

2022年05月25日

 

元京都府会議員(京都市南区選出)本野哲郎さんが逝去されました。心からお悔やみ申し上げます。

大学3回生の折に、京都府議会南区補欠選挙が行われました。学生党員として応援に行き、その後、就職し南区の住まいしたこともあり、公使ともども、お世話になりました。
葬儀(写真下)には国会活動もあり、秘書の永戸辰夫さんに参列をお願いしました。

 

 

1968年 5 月19日に行われた京都府会議員南区補欠選挙は、私たちにとって歴史的な選挙でした。2議席の欠員をだした自民党が一人の立候補のとどめ、必勝を期して臨み、日本共産党、社会党、公明党、民社党で争う選挙でした。

その中で、大方の予想を覆して、本野哲郎さんがトップ当選を勝ち取ったのです。京都の共産党、私たち学生の党員も喜びを爆発させました。
「京都府議会史  昭和 42 年ー 46 年」に(写真下)記録されています。

 

 

この勝利を土台に、7月 7 日投票で行われた参院選挙へと勇躍闘いに臨んだのです。
この参院選挙で、”河賢”こと河田賢治さんが、定数2の京都地方区(当時)で初めて議席を勝ち取る快挙を成し遂げたのです。この選挙も激烈な選挙で、私たち学生党員も、「河賢パンフ」を持って、軒並み訪問などに明け暮れました。
学生の党員は、連続した勝利に力を得て、党の勢力も大きく増え、学園民主化運動を戦いぬくことが出来ました。

日本共産党京都府委員会発行の「京都府党60年の歩み」には、次のように書かれています。

「1968(昭和43年)年5月の南区府議補選で、本野哲郎が1位で当選したことは、同年7月の参院選の前哨戦として京都地方区で党が勝利するうえで重要な意義を持った。この参議院選挙で、河田賢治は、24万8,103票、得票率27.55%を獲得して当選し、京都地方区で初めての議席をかちとった。

 

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南区府議補選の勝利の勢いが、参院選京都地方区の初当選へと連動した画期的な闘いでした。
その先頭に立った本野哲郎さんにあらためて感謝を捧げ、来るべき参院選で日本共産党5人の比例候補の勝利、京都選挙区・たけやまさいこ候補の勝利のために奮闘することを決意してお別れの言葉とします。