東日本大震災・津波から11年にあたって

2022年03月11日

 

3月11日は、東日本大震災津波から11年。今も行方不明者は2500人超。
犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。被災者のみなさんの暮しと生業を再建のため憲法13条に記された幸福追求権の立場で頑張ります。日本共産党岩手県員会は「震災・津波で助かった命、失うことがあってはならない」と復興に取り組んでいます。
決して忘れない、伝えていく決意です。

故郷・岩手県の追悼式は大槌町との合同での開催。大槌町での合同追悼式は、2013年に次ぐ2回目。
政府が10年を節目として昨年が最後とされる中で、岩手県と沿岸自治体は歳月で区切ることはできないと、新型コロナウイルス感染対策を万全に講じて開催されました。

津波で役場の職員40人が犠牲になった大槌町では、全壊して解体された役場庁舎の跡地で犠牲になった職員の追悼式が行われました。津波で当時の町長をはじめ、職員のおよそ3割にあたる40人が犠牲になり、町は亡くなった経緯を一人一人調べて、去年7月、報告書としてまとめました。
追悼式は、津波で全壊して3年前に解体された旧役場庁舎の跡地で行われ、全員で黙とうしたあと平野公三町長が献花台に報告書をささげました。

県と町の合同追悼式は大槌町役場で開かれ、遺族や役場の職員など150人が参列する中、まず、鎮魂の舞として地元の郷土芸能「虎舞」が披露されました。
そして、地震が起きた午後2時46分になると全員が起立して1分間、黙とうをささげました。
式では達増知事が「震災の事実と教訓、復興の姿を次の世代に継承することは、この災害を経験した私たちの責務です。犠牲になった方々のみたまが安らかであり、ご遺族の皆さまと私たちを見守り続けて下さいますようお祈りします」と述べました。

 

 

井上ひさしさんの、ひょっこりひょうたん島のモデル蓬莱島

 

 

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2013年、大槌町で開催された追悼式には参列しました。

 

11年前の3月11日も金曜日でした。14時46分、宮城県男鹿半島沖合を震源地とするマグネチュード9.0の地震が発生。国会・議員会館でも大きな揺れを感じました。

私は、14日後の3月25日に開かれた国土交通委員会で、「青森から茨城までの15港湾中、青森を除く14港湾が被害を受け、被害額は1兆円をに上ることが明らかになっている。国民生活を立て直す上で、物流の拠点、漁業の拠点たる港湾を一刻も早く復旧させるのは、喫緊の課題であり、『国際戦略港湾』の予算を災害復旧にまわすべきだ」と質問しました。下の写真は、当時のものです。