日本共産党は来年から、国会「開会式」に出席し、憲法の精神に基づいて抜本改革のための積極的対応を行うと、衆院議長に報告
2015年12月24日
24日、日本共産党の志位和夫委員長、山下芳生書記局長と私は、大島理森衆院議長を訪ね、国会開会式の在り方と日本共産党の立場について報告し懇談しました。
志位委員長は、「日本共産党は、国会開会式について、現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう抜本改革を求め、その意思表示として、開会式に欠席していたが、出席することがより積極的な対応になると判断し、来年の開会式から出席する」と、大島議長に報告しました(その際の発言の詳細と記者会見における応答は後記)。
大島議長は、承りましたと述べました。
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日本共産党はこれまで、日本国憲法の主権在民の原則に逸脱する、国会開会式のやり方を根本的に再検討することを提案するとともに、その意思表示として、開会式に欠席してきました。わが党が問題としてきたことは、主に二つの点であります。
第一に、開会式の形式が、「主権在君」の原則にたち、議会は立法権を握る天皇の「協賛」機関に過ぎなかった、戦前の大日本帝国憲法下の「開院式」の形式をそのまま踏襲するものになっているということです
第二に、以前の開会式では天皇の「お言葉」のなかに、米国政府や自民党政府の内外政策を賛美、あるいは肯定するなど、国政に関する政治的発言が含まれていました。これは、日本国憲法が定めている、天皇は「国政に関する権能を有しない」(という規定)に明らかに違反するものでした。そのもとで、わが党は、一貫して国会開会式が現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう、抜本的改革を求めてきました。
その後、開会式での天皇の発言に変化が見られ、この30数年来は、儀礼的・形式的なものとなっています。天皇の発言の内容には、憲法からの逸脱は見られなくなり、儀礼的・形式的な発言が慣例として定着したと判断できます。一方で、開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は、現在においても変わりがないということも、指摘しなければなりません。
こういう状況を踏まえての今後の対応です。日本共産党としては、30数年来の開会式での天皇の発言の内容に、憲法上の問題がなくなっていることを踏まえ、今後、国会の開会式に出席することにします。同時に、開会式の形式が、戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は、根本的な再検討が必要であることに変わりはありません。わが党は、それが、現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう、引き続き抜本的改革を強く求めていきます。そうした抜本的改革を実現するうえでも、今後は、開会式に出席することがより積極的な対応になると、判断しました。
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メディアの記者からは、「国会開会式の改革を実現する上でも出席することが積極的な対応になるといわれましたが、どういう意味合いか」と質問がありました。
志位委員長は、それに対して次のように答えました。
「欠席という態度を続けた場合には、わが党が天皇制に反対するという立場で欠席しているとの、いらぬ誤解を招き、憲法の原則と、条項の厳格な厳守のために、改革を提起しているという真意が伝わりにくいという問題があります。その点で、出席した場合は、そうした誤解を招くことなく、まさに憲法順守のための改革を提起しているという、私たちの真意がよりストレートに伝わることになると考えました。そういう意味で、抜本的改革の実現のためにも、今回の対応がより積極的な対応になると判断を致しました」。