瀬戸内寂聴さん ご逝去にあたり、心から哀悼の意を表します。友誼に感謝を!

2021年11月12日

 

9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが京都市内の病院で、お亡くなりになりました。99歳でした。心から哀悼の意を表します。

公私ともどもお世話になりました。先の総選挙にあたり、いち早く日本共産党応援のメッセージを頂戴しました。ありがとうございました。

メッセージ(全文を後段に紹介)に記された「忘己利他(もうこりた)」「青春とは恋と革命よ」の言葉を思い起こし、頑張ります。

寂聴さんは、徳島市の出身で1922年5月15日生まれ、1973年51歳の時に出家(今春聴大僧正を師僧として、岩手県の中尊寺において天台宗で得度、法名を寂聴に)し、京都・嵯峨野に「寂庵」と名付けた庵に居し、岩手県二戸市の天台寺の住職を兼ね、往来を重ね、88年からは寂庵に居住。

僧侶、作家と活躍し、女流文化賞、文化功労章、文化勲章などを受賞。

しんぶん赤旗、日曜版にも度々、登場し、日本共産党に対する応援の言葉をいつもいただきました。

 

 

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3月20日に行った「日本共産党近畿ブロック オンライン演説会」には、サプライズでメッセージをよせていただきました。私に託されたこともあり、演説会では、党本部に来られた時のエピソードなどを紹介しました。

 

 

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2014年3月には、党本部を訪れ、不破哲三夫妻らと懇談。私も同席しました。

 

 

秘密保護法と文学の自由、若者への影響力を広げる問題、梅原猛さんとの交流、京都の革新性、「愛と革命」など、あっという間の一時間半の懇談だったこと、今でも鮮明に覚えています。

 

 

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2009年5月3日の京都での憲法集会では、「いのち」と題して記念講演。

 

 

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3月20日の「オンライン演説会」に寄せられたメッセージを紹介します。

日本共産党のオンライン演説会、ご盛会おめでとうございます。

私は 1922年5月生まれです。共産党はその年の7月に創立されたのですね。私のほうがちょっとお姉さんですが、ともにことし99歳、数えで100歳になることを、まずは喜び合いたいと思います。

私は太平洋戦争を体験しました。中国・北京から帰ってきたら、実家は焼け野原、母は防空壕で焼け死んでいました。父もそのあとを追うようにすぐ死んでしまいました。戦後私は戦争にも原爆にも原発にも反対してきました。集会に出たり、国会の座り込みに行ったり、自分のできる行動はやろうと思いました。

去年から新型コロナウイルスの感染が全世界で広がり、大勢の人が亡くなり、私たちは外を歩けなくなりました。かつての戦争を思い起こすような不気味さです。

このコロナに立ち向かうためには、やっぱり政治がしっかりしていないといけません。ところが我が国の政府は、まずは「自助」をとなえ、対策も後手後手に回っているようです。自民党の議員たちは、庶民が自粛をしているのに、自分たちは銀座で遊び歩いていました。それどころか、国の役人が業界から接待漬けになっていると世間から非難ごうごうです。こんな政治は変えなくてはいけませんね。

仏様の教えで「忘己利他(もうこりた)」という言葉があります。自分を忘れて他人に尽くすという意味です。
アフガニスタンで亡くなられた「ペシャワール会」の中村哲さんはこの精神を貫かれた方です。
私は、政治の世界でこれを貫いているのがあなたがた、共産党ではないかと思うのです。戦争に反対し、常に女性、子ども、お年寄り、弱い、貧しい人の側に立ち、頑張っています。

私は以前よく「いつも選挙では共産党に入れているのに、どうして伸びないのかしら」と、共産党の人に会うたびにいっていましたが、最近は様子が少し変わりましたね。以前は正しいことを言っていても、共産党が言うと、何かかみしもをつけたような硬い感じがしていたのですが、最近はとても柔軟になりました。若い人たちも関心を持ち始め、野党が力を合わせて政治を変えようと努力されていることにも期待が持てます。

お互い数えで100歳になりましたが、気持ちはまだまだ「青春」です。私は若い人たちに「青春とは『恋と革命よ』」といつも言っています。そんな気持ちで、いい世の中にするために共に心若々しくしましょうね。

春を告げる京都・嵯峨野の寂庵から

瀬戸内 寂聴

 

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