「織額 完成披露の会」での私のあいさつ//納品

2021年07月13日

 

10日に行った「西陣織「織額」完成披露のつどい」で述べた、私の「返礼のごあいさつ」の要旨は以下の通りです。

 

 

熱海での土石流被害に、お悔やみとお見舞いを申し上げます。

一、感謝と御礼の一語に尽きます。

このような晴れがましい「衆議院議員在職二五年 西陣織『織額』完成披露の会」を呼びかけていただいた四氏にお礼申し上げます。会場提供の舞鶴一雄理事長をはじめ西陣織物工業組合のご配慮にお礼申し上げます。
お祝いに駆けつけていただいたみなさん。ありがとうございます。小さな規模でとご案内申し上げたのは、友人、親しくお付き合いの方がばかりです。
織額の作成者に感謝申し上げます。舞妓さん写真の第一人者、写真家の溝縁ひろしさん、対象が「むくつけき」私では、苦労なさったかと存じます。
織額作成の冨家靖久さんと織って下さったとみや織物の皆様にあらためて感謝の意を表します。

私は、北天の雄「阿弖流為・母禮」を輩出した蝦夷(えみし)の国の生まれです。
石川啄木・宮沢賢治に憧れる青春を過ごし、京都の立命館大学で学びました。
この私を育て、国会議事堂に永年議員として肖像画を掲額するという栄誉の機会を与えてくれた京都・近畿の有権者の皆さん、党支持者の皆さんに心から感謝を捧げます。

一、「肖像画は『織額」で」との示唆は?

そのご示唆を頂戴したのは、永年在職議員表彰を受けた二〇一八年。他ならぬ伊吹文明元衆院議長からでした。肖像画の件は、三年放っておいたのですが、コロナ禍の下、「京都と西陣に楽しく明るい話題になれば」の思いで決意した次第です。
ところで、伊吹先生がご勇退とお聞きし、ある種の「寂寥感」を覚えました。一九九三年総選挙以来、新旧の京都一区で九回相まみえました。
このような選挙区は、日本中探してもないのでは。大先輩に失礼ですが、「永遠の好敵手」「究極のライバル」と言えます。
もう一度挑戦したかったが本音です。「今度こそ勝利を」と幟を立てれば、「何を小癪な」とご返事があったかもしれません。 

一、肖像画の私は、和服です

肖像画は和服です。国会議事堂に飾られている肖像画で和服姿は三人目と聞きました。背景は、友人宅の糸屋格子です。私は、伝統・地場産業の振興と「京都のまちを守りたい」の思いから選びました。伝統産業と京都らしい風情を醸し出せたのではと思います。

一、伝統産業と京都のまちを守る、平和は私の政治信条

西陣は平和あってこその産業です。中小企業の産業です。京都の日本共産党をつくった国領五一郎氏は、西陣労働者であり、私が跡を継いだ谷口善太郎氏は、清水焼の労働者です。西陣織は、多数の工程があり、“職住一体”のまちで織られてきました。
京都の景観は、住民の生活と一体です。私は「京都が、京都であり続けられる」ことを願い、運動を続けます。

政治の要は、国民の命を守ることであり、平和な国をつくることです。河野洋平元衆院議長は、「政治家の務めは戦争を起こさせないことである」と喝破しました。
私の恩師・末川博立命館大学総長が、「平和のために、真実のために、生きて何らかの役に立とうと希望するがゆえに、学問を志したのである。その学徒が戦争のために自らの生命を奪われた。これほど大きな矛盾があるだろうか。矛盾に発する怒りと悩みと悲しみを象徴するのがわだつみ像である。われわれは、再びあのようなおろかな戦争のために尊い未来と生命を奪われることなかれ」と語った「わだつみ像建立の訴え」から、来年は七〇年となります。「わだつみの悲劇を繰り返すな」の教えを心に刻み、歩みます。
来年二〇二二年は、日本共産党創立一〇〇周年にあたります。反戦平和の伝統を持つ日本共産党の一員として、私は、憲法前文に記された「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」つくった憲法を守り抜きます。

命と平和を守り、暮らしと営業を第一とする新しい政治をつくるために頑張り抜くことを決意してお礼の言葉とします。

 

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写真下は、日本共産党京都府委員会事務所で、完成した織額の検品・納品の際の写真です。

 

 

物凄く、大きい感じしませんか。