「生誕 130 年 河井寛次郎展」&「寿岳文章・しづ展」

2021年03月14日

遅くなりましたが報告です。
7日、大山崎山荘美術館で開催されていた「生誕130年 河井寬次郎展~山本爲三郎コレクションより~」を鑑賞しました。

河井寛次郎(1890–1966)は、1920年、京都五条坂に窯を求めて「鐘渓窯」と命名し,京都を拠点に活動。中国や朝鮮の古作にならった精妙な作品を発表した初期を経て、柳宗悦らと民藝運動を創始し、生活に根ざしたうつわを追求するようになったと言われます。戦後は、既存の概念にとらわれれずたいへん自由な作風に転じ、没後半世紀以上が経過する現在もなお、河井の手がけた多彩な作品はとても魅力的です。

写真は、大山崎山荘のベランダに飾られた、河井の後輩で一万種以上の釉薬の研究をともにした濱田庄司氏の作品の前で。

 

 

今回の作品展は、生涯にわたり河井と親交をもった山本爲三郎氏(初代アサヒビール社長)のコレクションを中心に、初期から晩年までの河井寬次郎の作品約110点が一挙に公開されていました。

 

 

展覧会の最後の日に訪れました。

 

*******

 

河井寛次郎展の帰り道、お隣の向日市文化資料館で開催中の「寿岳文章 人と仕事展」「寿岳しづ展」に立ち寄りました。

なぜ今、寿岳さんご夫妻の展示を訪ねたのか。ご息女の寿岳章子・府立大学名誉教授には、一方ならぬお世話になりました。寿岳さんは京都では、革新統一のために尽力され、蜷川虎三民主府政の発展の大黒柱として活躍されました。
1986年に行われた京都府知事選挙と同時執行の「京都府会議員北区補欠選挙」の候補者となった私は、向日市のご自宅を訪ね、懇談し、推薦も頂戴しました。その折、文章先生にも激励をいただきました。

その後も、章子先生には、京都市会議員、衆議院議員と活動する中で一貫して応援を受け、交流してきました。
ですから、住居の写真を拝見し、伺った時のことをあらためて思い起こし、今日の政治状況と野党共闘の現状を報告し、決意を固めました。

文章・しづ両者とも「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」の期限延長が決定されたことを受け、「3月21日まで延長」とされており入場は無料です。(寿岳文章・じゅがくぶんしょう、1900~1992年。しづ、1901~1981年)。

 

 

私は、向日市の寿岳邸には何度がお邪魔しましたが、今回の展示を見て、寿岳文章氏が河井寛次郎の作品を愛用し、自分が出版する本の挿絵は芹沢銈介氏にお願いしていたこと、文章氏が全国の和紙を収集していたことなど、新たな発見がありました。写真は、文章氏が愛用していた河井寛次郎作の湯のみ茶碗。

 

 

寿岳しづ展では、「リプトン紅茶」のポスターにご夫妻の和気藹々とした一コマが使われていたことも、初めて知りました。