遊説第3弾 秋田県鹿角市と能代市で「市民と野党の共闘で政権交代の実現を」と訴える

2020年11月27日

 

報告です。23日、秋田県鹿角市と能代市で開催された「総選挙勝利をめざす演説会」で、藤本友里・比例東北ブロック予定候補とともに、日本共産党の躍進で、〝東北の命綱″高橋ちづ子衆院議員の再選を絶対勝ち取り、東北ブロックで初の2議席挑戦、市民と野党の共闘で政権交代を、と訴えました。高橋衆院議員からはメッセージが寄せられました。

私は、はじめに、能代市生まれで鹿角市育ちの高橋ちづ子衆院議員の八面六臂の活動と高橋さんの議席は東北の命綱であることを強調し、「秋田は小林多喜二を生み、高橋ちづ子衆院議員を育み、イージス・アショアを撤回させた地です。その秋田から日本共産党の躍進と、市民と野党の共闘による政権交代を実現しよう」と呼びかけました。(写真下は、鹿角市での訴え)。

 

 

写真下は、鹿角市で。来年3月の市議会議員選挙で党の議席の空白克服に挑む浅石重美予定候補とともに。司会は鹿角支部のお2人が務めました。

 

 

私は、第一に「コロナ危機への対応で政治のあり様が問われている」こと、第二に「学術会議人事介入問題と問われる日本の政治の進路」第三に「成果を挙げた市民と野党の共闘」とりわけ「イージス・アショア撤回の闘い」を紹介。そして「市民と野党の共闘で連合政権をつくろう」「日本共産党の躍進がカギ。比例は日本共産党」と訴えました。

1933年、京大滝川事件と秋田鹿角市出身の行政学の先駆者・田村徳治京大教授。田村氏は、宮本英雄法学部長と末川博氏(のちに立命館大総長、名誉総長)の3人で、当時の小西重直京大総長に、法学部の教授会の辞表を取りまとめて提出したのです。事件の際に慰留をふりきって辞職したと記録されていることを紹介。

写真下は、能代市で訴える私。能代市では菊池時子・能代市会議員が司会を務めました。

 

 

国政における、市民と野党の共闘での大きな成果は、秋田市へのイージス・アショア配備計画を撤回に持ち込んだこと

私は、イージス・アショア問題を2018年6月6日に質問、7月8日にはイージス・アショア問題の国会報告会を行ってきたことを述べ、7月6日付、秋田魁新報・小笠原直樹社長の論文「兵器で平和は守れるか」を紹介。

「最も尊重しなければならないのは、県民と県土の安心安全、ひいては国家と国民の安全保障であることは論をまたない。この立場は設置賛成論者と同じだが、異なるのは、戦争に突き進んだ過去に対する真摯な反省の上に立った歴史観である」

国会での取り組み、現地での運動があいまって、さらに、先の参院選で「配備反対」を掲げた寺田静さんの勝利で、国策を転換させ配備中止に追い込んだ。

私は、その後の防衛省の「迎撃ミサイルのブースターの落下制御」の問題の対応のデタラメさを資料に基づいて告発。

防衛省は、与党側の非公開の会合で、「ブースターについて『なんとなくの感覚で適切に落下させられると判断してしまった』と説明した」ことを報告。まったく、とんでもない話です。このことは、防衛省が、陸上イージスの実際の運用では陸自演習場内へのブースターの落下など想定しておらず、「配備ありき」で計画を推し進めるための地元向けの「方便」だったことを示しています。

防衛省は、破たんに追い込まれた陸上イージスの代替案として、今度は洋上で運用する案の検討を進めています。その内容は、米側から陸上イージス用に購入したレーダーなどの装備品を洋上型に改修・転用するというものですが、政府の姿勢は、「なぜ必要なのか」ではなく、「既に米側と契約してしまった装備品をどう活用するか」を出発点にするという本末転倒の議論に陥っている状態と言えます。対米関係の悪化を恐れるあまり、「イージス・アショアありき」の前提を変えず、陸上イージス用装備品の転用に固執する先には、もはや混迷しかありません。政府は無謀な計画はきっぱり断念すべきです。

最後に、日本共産党の躍進がカギであることを強調しました。「日本共産党の勝利・躍進なしに連合政権なし」の気概で、政権奪取宣言にふさわしい活動のダッシュをと結びました。

写真下は、能代市で、藤本友里・比例東北ブロック予定候補とグータッチ。

 

 

写真下は、鹿角市で、浅石重美・市会議員候補と。