「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」建立3周年記念のつどいであいさつ

2020年11月1日

 

31日、宇治市志津川のほとりで開催された「『詩人尹東柱 記憶と和解の碑』建立3周年記念のつどい」に、今年も参加し、あいさつしました(写真は、献花する私)。(尹東柱・ユンドンジュ)

 

 

宇治市在住の安斎育郎・記念碑建立委員会代表(立命館大学名誉教授)が、「この記念碑は、詩人尹東柱の名前を冠してはいるが、ひとり彼だけではなく、詩人尹東柱を通して、戦前の日本やナチスドイツの行為、記憶を風化させない、そのための『記憶と和解の碑』として建立された」と強調。学術会議任命拒否問題や核兵器禁止条約に触れ、「シンクグローバリー、アクトローカリー。地球規模で考え、地域から発信する、その一つの試みがこの碑の建立であり、今日の記念の集い」と、あいさつされました。

 

 

私はあいさつで、端的に「今日は大変すがすがしい晴天ですが、国会の状況は、とてもすがすがしいというものではありません」と切りだし、学術会議の任命拒否問題に言及。

「この碑の前に立つと、『記憶』という部分を改めて想起せざるを得ない。学問の自由という点では、野党の国会対策委員長の間で、1933年の滝川事件が共通の話題になっている。

ご存じの通り、この宇治ゆかりの山本宣二は1929年3月5日、治安維持法の改悪に反対したがために右翼に暗殺された。

その前に、1925年に京都学連事件があり、京大、そして尹東柱が学んだ同志社大を中心とする学生の社会科学サークル連合が弾圧された。これが治安維持法適用第一号だった。

1928年3月15日が日本共産党への大弾圧事件、31年にはいわゆる『満州事変』が起こり、33年には小林多喜二が虐殺され、その年に滝川事件が起こった。

私たちは、こうした記憶をしっかりと踏まえ、次世代に語り継がなくてはならない」と強調しました。

 

 

そして、私は「かつて来た道ではなく、本当にすがすがしい新しい道を選ぶ必要がある」と訴えました。

集いでは、中学生や高校生らによる尹東柱の詩の朗読もありました。

 

 

最後に、私は「山本宣治の碑の言葉が、われわれ野党国対委員長の合い言葉になっている」と紹介。

「『山宣ひとり孤壘を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから』との、山宣の碑の最後のフレーズ、『大衆が支持してゐるから』が合い言葉になり、新しい市民と野党共闘の前進を築いている。この道をみなさんとともに進みたい」と呼びかけ、あいさつとしました。

集いの終わりに、関係者での記念撮影を行いました。