田村智子副委員長を迎え街頭演説@京都市、神戸元町

2020年09月19日

 

18日、閉会した臨時国会から駆けつけ、京都市内、神戸元町の2ヵ所で街頭演説に立ちました。田村智子党副委員長を迎え、衆院近畿ブロック比例予定候補である宮本たけし前衆議院議員(大阪5区重複)、清水ただし衆議院議員(大阪4区重複)、こむら潤尼崎市議(兵庫8区重複)と私、こくた恵二(京都1区重複)がそろって訴えました(こむら潤予定候補は、京都市内には議会用務で間に合わず、メッセージが紹介されました)。写真は、神戸元町の大丸前で小選挙区候補もそろって。

 

 

私は、まず、総理大臣指名選挙で、枝野幸男新立憲民主党代表をすべての野党が首班指名選挙で投票したことについて触れ、「政権交代が現実的目標になった。16日には、枝野代表が日本共産党の控え室を訪れ、『政権交代のために連携を』とお願いがあった。志位委員長も『野党連合政権への意思表示であり歓迎する』と応じた。

政権交代をめざし、他党の党首に私たちが投票したのは、歴史上初めてのことであり、いよいよ野党連合政権をめざすべきときがきた」と強調しました。写真は、京都市の四条烏丸交差点で訴える私。

 

 

そのうえで、「情勢は新しい激動の時代に入った」として、「安倍総理が辞任し、菅義偉新総理が誕生したが、何も目新たしいことがない。これは『安倍政治の継続』を掲げる新政権が行き詰まっている証拠ではありませんか」と指摘し、菅新首相が掲げた「自助・共助・公助」について雨宮処凜さんの言葉を引いて次のように批判しました。

雨宮処凛さんは、『自助』とは、『自己責任だ。自分で何とかしろ』、『共助』とは、『一家心中するまで家族で助け合え』『共倒れするまで地域で助け合え』、『公助』は、『何もかも失わないと公的福祉は機能しないから、やっぱり自己責任で何とかしろ』という意味であると述べています。
若干過激かとは思うが、本質をついているんではないでしょうか」と紹介。写真は、力一杯訴える田村副委員長。

 

 

そして、「『自助、共助、公助』、この文言は、実は、2010年改定の自民党綱領に記されている。これまで、年金、医療、介護、生活保護などの社会保障切り捨ての論理として使われてきたもので、現在、コロナ危機の下で、公衆衛生や医療体制の脆弱さが露呈した。この事態を作ったのが効率第一主義、自己責任論、すなわち新自由主義に他ならない。今、この政治のままでいいのだろうかと、多くの国民が問い始めている」と指摘。

続いて、「政治の責任とは何ぞや。それは国民の命と暮らしを守ることにあります。憲法第25条は、国民は健康で文化的な生活を営む権利を有するとし、社会保障、公衆衛生の向上は国の責務と明記している。新自由主義の暴走を許さず、憲法が生きる社会をめざそうではありませんか」と呼びかけました。

 

 

最後に、「政治の根本的転換へ、市民と野党の共闘の源流の京都から政治を変えよう。今こそ、野党連合政権をつくりましょう」として、「その要である比例代表での日本共産党の躍進、そしてこの地、京都1区では私、こくた恵二を必ず勝たせていただきたい」と結びました。

 

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神戸元町では、「阪神淡路大震災から今年で25年目です」と切り出し、今年は阪神淡路大震災・1月17日を風化させないという言葉が相次いだことを紹介。
そして、菅総理大臣が『自助・共助・公助』と述べていることに対して、私は「これと重ね合わせた時に、あの25年前。どれほどみんな自分で努力しただろうか、どれほどみんな家族と、地域と、そしてそれを超えた絆をつくって努力したことだろうか。思い出していただきたい」と述べ、「その時に、一番足りなかったのが国の仕事ではありませんか」と指摘し、「だから私たちは、小田実さんをはじめとする知識人や市民と一緒になって、私は被災後の9日後の1月26日に、住宅再建補償制度、公的補償制度を訴えた。ここに日本共産党の役割があります。ここに政治の役割があると言って過言ではありません」と述べました。

 

 

続いて、「コロナ危機の下で、今の日本の政治はどうか。これでいいのか、ということが問われている」として、「かつて、神戸市では9つすべての行政区に保健所がありました。
震災後の保健所の所長の座談会が1995年8月に行われ、救護・救援、避難所と仮設住宅での衛生、食品管理、医療、健康、心のケア、どれほどいろんな仕事に携わったかと話し合って、『各区に、9つの区に保健所があったから救護活動、救援活動ができた』とおっしゃっている。
それがいまは1つの保健所に。政令指定都市の中で、人口10万人あたり保健師の数が最低というのが神戸ではありませんか」と述べ、「コロナ危機、そして私たちの一番大事な原点である阪神淡路大震災、この2つを経験した県民、市民として、この政治を根本から変えるということを言える資格がある県民と市民ではないでしょうか」と呼びかけ、「何としても勝たせていただきたい」と訴えました。

 

 

最後に、「日本共産党を躍進させていただくには、兵庫県民のみなさんの力が必要」と述べ、「1996年、藤木洋子さんを勝たせていただいた選挙、98年、大沢たつみさんを勝たせていただいた選挙、2014年、堀内照文さんを送っていただいた選挙、いずれも近畿における得票率を超えて、兵庫のみなさんが勝たせていただいたということが歴史の教訓」と強調。「兵庫がたたかえば、兵庫が勝てば、近畿で共産党が前進する、その帰趨を担っている兵庫県民のみなさんに、あらためて、ご支援を心からお願いし、奮闘する」と決意を述べました。