京菓子司「末富」3代目、山口富藏さんを訪ねる

2020年07月19日

18日、京菓子司「末富」3代目、山口富藏さんを訪ね、親しく懇談しました。

 

 

お店を覘くと山口さんに出迎えていただだき、「どうもお久しぶりですね。こくたさんとは馬があって」と声をかけていただき、私もこれまでに2度ほどご挨拶する機会がありましたが、よく覚えていただいており恐縮しました。

今回、訪問したのは、戦後75年の今年、「お菓子づくりと平和」などのテーマで「しんぶん赤旗」日曜版のインタビューに登場いただけないかという思いで伺ったのですが、これも二つ返事で快諾いただきました。

 

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さて、私の方から、「昨日は、柏屋光貞さんのところの行者餅を買い求めました。ほんとうは祇園祭の宵山ですからね」と切り出すと、「もともとあれは祭りのもんですなあ。コロナの状況ですが、柏屋さん、やってはりましたか。心意気ですな!」と山口さん。さすがに、京菓子には造詣が深く、最初から意気投合しました。

 

 

また、私が「私は日常は政治の世界にどっぷりですが、暮らしの中に四季折々のお菓子、京菓子が息づくような豊かさ、文化性が必要だと常々思っています。生活の中の菓子文化ということで、京菓子についてもいろいろと勉強させていただいています」と言うと、山口さんは「暮らしの中で京菓子が息づくようなことは少なくなってきました」「昔は砂糖というようなものは、なかなか入ってこない。砂糖を初めてお菓子につかったのが、京菓子なんですよ」と、その歴史をひもといていただき、私が「実は私の連れ合いは島根の出身でして、京都、不昧公の島根・松江、前田藩の金沢などは、菓子文化とお茶の文化が切っても切り離せないように発展してきましたね」と述べますと、山口さんは「利休以来のお茶の文化が松江にはあるんですね。その中で、島根のお菓子は金沢のような派手さがなく、地味ですが脈々と歴史を刻まれてきますね」と話が弾みました。

 

 

敗戦の年に8歳だった山口さんは、戦争の悲惨さを体験した最後の世代。「当時、五条通りに続き、末富の土地も強制疎開の対象になり、住民は家の明け渡しを命じられた」とのことですが、その直後に敗戦となり、建物の撤去は免れたそうです。「疎開から帰ったら家がなかったという友人も多いのですよ」としみじみと語っていただきました。

戦後75年にあたっての「しんぶん日曜版」のインタビューが、いまから楽しみです。