3・11東日本大震災、岩手県久慈市の「追悼式」に参加します。//京都市上京区・興聖寺「東日本大震災画いた100m大作絵展」

2019年03月11日

 

11日は、東日本大震災・津波から8年を迎えます。あらためて犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。同時に被災されたみなさん、いまなお避難生活をされているみなさんにお見舞い申し上げ、生活と生業の再建のために全力をつくす決意です。

今年も岩手県に来ました。今年は久慈市で行われる「東日本大震災津波 岩手県・久慈市合同追悼式」に参列します。三陸の海の沿岸を走る三陸鉄道・北リアス線(久慈駅~宮古)は壊滅的な被害を受けましたが、住民のみなさんの足である鉄路が失われたことで、住民の方々からの強い要望に応え、震災から5日後に久慈駅から2つ先の駅(陸中野田駅)を復旧させました。

私も国会で三陸鉄道の復旧の問題を取り組み、JR山田線・大船渡線等の復旧を超党派での申し入れを行ったものですから、嬉しいです。

 

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さて、9日から17日にかけ、京都市上京区堀川寺之内上る西側、「興聖寺」さんで、画家・渡邉敬介さんが描いた「東日本大震災100m大作絵展」が開催されており、立ち寄りました。

 

興聖寺 渡辺

 

画家の渡邉さんは、「当時、現地でボランティアスタッフから『絵に描いて役に立つのか』と何度も問われ、苦悶したこともあるが、災害はいつ起こるか分からない。作品から何かを感じていただき、災害を身近に引き寄せて考えていただいたら」と語っておられました。

写真は、気仙沼に打ち上げられた巨大漁船を描いた絵の前で渡邉さんと。

 

作家の渡辺さんと

 

こちらは、震災後一年目の気仙沼漁港を画いた部分。派手な黄、青、緑、赤色などの防水胸付ズボンを着て魚の水揚げ作業をする漁師らですが、渡邉さんによると「海水汚染の風聞が広がり、なかなかうまくいかない。だから、漁師らは元気づけに色とりどりの防水ズボンをはいている」とのことでした。

 

気仙沼 一年目

 

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また、興聖寺のご住職とも懇談することができました。私が、95年の阪神大震災以降、また、東日本大震災以降、まちと生活・生業の復旧・復興、政治の責任についてライフワークとして追求してきたこともお話しすると、「大震災を風化させない。そのためには、単年でなく、取り組みをずっと続けたい」とご住職。意気投合しました。写真は、興聖寺の本堂で。

 

興聖寺 本堂

 

興聖寺は、2年前から地域の「避難所」に指定されており、自治連の方など地域の皆さんもボランティアで作品展のガイドや夕方以降19時までの「燈籠」の準備をされていました。

ぜひ一度お立ち寄りください。

 

興聖寺 燈籠