年明け恒例①山宣・谷善・国領のお墓詣りへ

2019年01月1日

 

元旦は、早朝に自宅を出て宇治市に向かい、「山宣」こと山本宣治さんのお墓詣りから始めることを慣例としています。

 

山本宣治

 

 

今年も、前窪義由起、原田完、馬場紘平の各京都府議、松尾孝元京都府議、西野佐知子、山根智史市会議員、坂本優子宇治市議と一緒に統一地方選・参議院選勝利と党のいっそうの前進を誓い合いました。山宣は1889年5月28日生まれなので、生誕130周年を迎え、没後90周年を迎えます。

 

山本宣治 こくた

 

 

山本宣治は、1929年、第一回普通選挙で、非合法下、地下の共産党から要請され労農党から立候補し、当選を果たしました。しかし、「山宣ひと孤塁を守る・・・」との有名な最後の演説をした翌3月5日、議会で治安維持法改悪反対の意見を発言しようとして妨害され、果たせないまま、その夜、神田の宿舎で右翼の凶刃に襲われました。

 

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続いて、谷口善太郎氏のお墓へ。1923年、京都の共産党結成に参加し、山本宣治と京都で労働学校を創設したのが谷口善太郎です。かつて蜷川虎三京都府知事は、「京のまち 京のひと 谷善の顔がある」と詩を詠んだほど、「谷善」は京町衆に慕われていました。谷善は1899年10月15日生まれなので、今年、生誕120周年を迎え、1974年にお亡くなりになっていますので没後45周年を迎えます。

私寄り立っている谷善の句碑には、「守道不封己」とあります。これは「道を守って己を封う(あつう)せず」と読み、共産党員たるもの利己心があってはならないという意味です。

 

谷善1

 

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そして、最後に国領五一郎氏のお墓へ。谷口善太郎氏をもって、「私は国領君と親しくなるにつれて、この自分より若い国領君がら終始教えを受けた。とくに革命家はどうあるべきかというたいせつな問題で国領君の人格から強い影響を受けた」と言わしめたのが国領五一郎

国領は1902年生まれで生誕117年、1943年にお亡くなりになっていますので没後76年を迎えます。

 

国領1

 

国領のお墓がある黒谷の光明寺には、お正月らしからぬぽかぽか陽気の中、寒桜が咲いていました。

 

国領2

 

3人の先達の墓参りをし、いっそう身の引き締まる思いで新しい年を迎えることができました。