仁和寺第51世門跡・瀬川大秀大僧正「晋山式」//惟喬親王1122年大法要
2018年10月12日
11日早朝に東京を出て、招待を受けていた総本山仁和寺第51世門跡・真言宗御室派管長の瀬川大秀大僧正の「晋山式」および「晋山祝賀会」に参加しました(写真は、国宝仁和寺金堂での晋山式の様子)。
晋山式(しんさんしき)とは、寺院に新たに命を受けた住職(新命)が晋山すること。その式を晋山式といいます。晋は「進む」こと、 山は「寺」のこと。新たな住持人(住持または住職に同じ)として、寺に入山すること、と言われています。
私は、ゴールデンウイークなどにはいつも「御室88ヵ所」を歩いていますが、その起点が仁和寺。写真は、晋山式に参加するみなさん(仁和寺の中門)。
今日の晋山式は、大沢池で有名な大覚寺門跡・黒沢大僧正猊下はじめ真言宗の各派の大僧正、権大僧正などが臨席した荘厳なものでした。
先ごろ(9月7日)は、台風被害調査でお伺いし、実態をお聞きしました。復旧についての、国や地方自治体からの援助の制度、一般社寺への援助に関してもお伝えし、親しく懇談したばかりでした。
瀬川大秀大僧正に、災害被害をあらためてお見舞い申し上げました。
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また、昨日10日には、「惟喬(これたか)親王1122年御遠忌大法要」が大原・勝林院で執り行われ、私の代理として秘書の永戸さんが参列しました。
惟喬親王は、文徳天皇の第1皇子ですが「悲運の皇子」として知られています。それは、文徳天皇と藤原良房の娘の間に生まれた異母弟の第4皇子、惟仁親王(後の清和天皇)が強大な勢力を誇っていた藤原家の後ろ盾を得て即位したため、惟喬親王は20代で出家を余儀なくされ大原をはじめ山中で隠棲生活をおくり、897年、54歳で死去したとされています。写真は、法要が行われた勝林院の本堂。
また、大原には宮内庁が唯一認めた親王の墓がひっそりとたたずんでいます。