3月5日は、山本宣冶の命日でした。//引き続き沖縄地元紙は報道

2015年03月6日

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3月5日は、政治革新運動の先達「山本宣冶」氏の命日でした。 宇治市では、「山宣祭」が今年も開催されました。

「山宣」こと、山本宣冶さんは、1929年の第一回普通選挙で、当時非合法であった日本共産党から要請され労農党から京都第二区で立候補、当選。 国会で、ただ一人治安維持法改悪反対の態度を貫き、国会での意見をのべようとしましたが、右翼の凶刃に倒れました。

日本共産党は、山宣の生前の功績をたたえ、日本共産党の党籍を贈りました。

日本共産党国会議員団控え室には、山宣の拓本あります。日々の活動とともにあります。

拓本には次のように記されています。
同志山本宣治の最後の演説から

「山宣ひとり孤塁を守る  だが私は淋しくない  背後には大衆が支持してゐるから」  大山郁夫書

 

*** 私が取り上げた、辺野古米軍新基地の陸上自衛隊の恒常的共同使用=常駐問題が、引き続き地元紙では「社説」で、取り上げられています。参考まで。P3060794