「こだま健次さん語るつどい」に参加しあいさつ。
2024年04月16日
14日、2021年2月24日、87歳でお亡くなりになった児玉健次元衆院議員を偲び、「こだま健次さんを語るつどい」が、札幌市内のホテルで開かれ、日本共産党国会議員団からは、紙智子参院議員と私、党議員団事務局からは白髭寿一事務局次長が参加しました。
司会は、児玉健次さんの出身組合の北海道高教組委員長・尾張聡さん、民青北海道委員会委員長の山本朱莉さんが務めました。
発起人のあいさつに立った日本共産党北海道委員会の千葉隆さんは、コロナ禍の下、児玉さんを偲び遺志を継ぐ集いが出来ずようやく開催にこぎつけたと訴えました。
こだま健次さんを語るとして、北海道帯広南商業高校教員の中川望都子さんが、教え子を代表して北見柏陽高校1967年卒業の腰岡雅昭さんが、生き生きと語っていただきました。同期の仲間、教え子、方々約70名が参加され、故人の遺志を継ぎ、政治を変えることを決意したつどいでした。
私は、この冊子の表紙にあるが如くルイ・アラゴンの詩の一節「教えるとは希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと」を地で生きた方です。議員引退後も事あるごとに手紙で激励をいただきました。封筒を見るとすぐわかります。「兒玉」という字なのです。
こだまさんは、リクルート、佐川事件の金権腐敗追及、金丸信・臨床尋問などで活躍しました。こんにち、その伝統は自民党裏金づくり追及に脈々と受け継がれており、赤旗日曜版での告発、政倫審・予算委員会における追及で明らかです。
こだまさんは、私たちに「徳」を教え、人との交わりの道を教示していただいたと思います。私たちは時として人を見下す場合があります。こだまさんはどんな方に対しても常に対等の立場で接し、尊敬の念を失わず、リスペクトの構えを実践していました。
いま、これらの教えを生かして、何としても日本共産党の躍進を、比例北海道ブロックでの議席を畠山和也さんで奪回することこそ遺志を継ぐことと決意し、奮闘することを誓うものです。
久方ぶりにお会いした、弁護士の高崎裕子さんが献杯の音頭をとりました。
畠山和也さんのビデオメッセージが映されました。「ともに未来を」と題するスライドが上映され、在りし日の児玉さんを懐かしく思い出す映写でした。
ご家族の、児玉照世さん、真史さんがあいさつされました。
ご子息の真史さんは、健次さんのたたずまいとそっくりで、健次さん愛用のネクタイを着用され、思い出を語りつつ心のこもった訴えをされました。