先達の墓を参り、「京都1区で”今度こそ”勝ち抜く」決意新たに

2021年10月19日

 

19日、総選挙の公示です。18日は、公示を控え京都の革新の先達の墓詣りへ。勝利への決意を固めました。

まずはじめは、早朝、京都市を出て宇治市にある、山本宣治の墓前(写真下)へ。
「山宣ひとり孤壘を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから」

この言葉は、いまや4野党国対委員長の合言葉。

 

 

続いて、元京都府知事の蜷川虎三氏の墓前へ。
7期28年の民主府政で「憲法を暮らしの中に生かそう」のスローガンを掲げ、京都府民の命と暮らしを守り、発展させてきた方です。

 

 

続いては、「谷口善太郎氏」の墓を詣でました。

政治革新の原動力。プロレタリア文学の担い手でかつ清水焼労働者。1923年1月1日京都市内で日本共産党の京都の組織をつくった傑物。

戦後、日本共産党国会議員団の団長も務めました。旧衆院京都一区から府民の支持を得て当選。1972年には、旧京都一区で全国初の複数当選を実現。私の大先輩にあたります。

 

 

総本山知恩院の敷地内の京都解放運動戦士の碑へ(写真下)。
わが国の平和・民主的運動に尽くされ、逝去された京都にゆかりのある有名・無名の解放運動戦士の方々を合祀しその偉業を顕彰するため、建立されたもの。

 

 

金戒光明寺の国領五一郎のお墓を詣でました(写真下)。

西陣の労働者。1923年谷口善太郎氏らと京都の日本共産党を結成した。
1928年不当弾圧によって逮捕される。1943年獄死。獄中にあって「未来は光明に満ちたもの」と、最後まで革命的立場を貫いた。

 

 

河上肇氏のお墓に詣でました。

「たどりつき ふりかりえみれば やまかはを こえてはこえて きつるものかな」と刻まれた石碑を前に。
これは、日本共産党に入党した喜びを口ずさんだ歌。

その日本共産党員として闘います。