10月24日付の日本経済新聞に、私のインタビューが掲載されました。
2024年10月24日
24日付の日本経済新聞に、「引退議員に聞く」とのインタビュー記事が掲載されました。
引退議員に聞く 共産国対委員長 穀田恵二氏 政治家は平和の追及を
国会議員生活の31年間で印象に残るのは1995年の阪神大震災だ。発災当日の1月17日に地元の京都から亀岡市を経由して兵庫県西宮市に入り、3日間被災地を回った。現場に何が必要かを官邸に直接伝えたことをよく覚えている。
発災の翌週の衆院予算委員会で震災対策を巡る集中審議を開いた。村山富市首相をはじめ時の政権に被災者の個人補償を新しく提案した。98年に成立した被災者生活再建支援法につながる議論となった。
市民運動を通じて作家の小田実さんや井上ひさしさんら多くの人とつながった。井上さんからは「物書きの心をもらってくれ」と自身が使っている万年筆を渡された。今でも大切な宝物だ。
衆院当選2回の97年から今年10月まで27年間、党の国会対策委員長を務めた。在任期間が与野党で歴代最長になった一因は2015年に安倍晋三政権が進めた安全保障法制だろう。国会運営の手綱を握る必要があると考えた。
多くの政局に立ち会った。09年に政権から下野した自民党からは、権力への執念を感じた。いまの野党に足りていない部分かもしれない。
野党になった自民党の大島理森、公明党の漆原良夫両国体委員長は共産党の国対部屋によく顔を出すようになり、一緒にコーヒーを飲んだ。長い国対生活で「話し合いが大事」だと学んだ。
人間関係を深めていればいざというときに電話で意思疎通ができる。与野党とも信念を持った政治家が少なくなり、粒が小さくなった。政策、理念だけではなく政党名や党首の顔で選挙を戦えるようになった小選挙区制の弊害といえる。
戦争を体で知る人が少なくなってきたと懸念している。次代を担う議員は再び戦争の惨禍を引き起こすことなく、平和を追求する姿勢を貫いてほしい。