嵐山中之島公園で開催の「『日中不再戦』碑前の集い」で挨拶
2024年09月26日


中国総領事館・薛剣館長の挨拶(代読)が紹介された後、挨拶に立ちました。
私は、「今年の7、8月に2回、中国を訪問した。一回目は、海江田副議長外交の団員として、二回目は、二階俊博氏を団長とする超党派の日中友好議連の一員としてのもの」と紹介。「その際、この嵐山に建立されている周恩来氏の『雨中嵐山』の碑と、清水寺・大西良慶師に揮毫になる『日中不再戦の碑』について訴えてきた」と紹介し、中国関係者が「私たちも訪れている」と応じたことをお伝えしました。
また、中国対外連絡部・劉氏との会談で、劉氏が「鄧小平氏生誕120年の記念」と発言したことに関連して、「私の住んでいる京都では鄧小平氏と並んで周恩来氏が親しみを持って遇されている」と切り出し、「周氏の「雨中嵐山」の詩の一節に『一筋の光明』と記しているのは、マルクス主義経済学者・河上肇氏への敬愛の情であり、かつ新しい中国建設の夢を語ったとされている」と紹介しました。
同時に、「福島原発事故に伴う汚染水の海洋放出と原発事故に関わる発言も行ってきた」として、「この問題で日本側の代表団を構成する政党の立場は違う。日本共産党は、2006年、吉井英勝衆院議員が、福島原発について、『チリ地震並みの地震と津波が襲えば、メルトダウンの可能性がある』と指摘し、東日本大震災の際、実際にメルトダウンが起こった。この日本共産党の論戦があったればこそ、東京電力は『想定外の事故』と言えなかった。また、汚染水の海洋放出に関して言えば、核燃料が溶け落ちたデブリに接触した処理水を放出した例は世界にない。従って、日本共産党はこの対応に反対したことを述べておく」と発言したことを紹介しました。
最後に、「いま、日本政治にとって重要な時期を迎えている。碑に揮毫した故・大西良慶師や、末川博先生の教えを胸に刻んだものとして、戦争する国づくりではなく憲法9条に基づく平和国家へ、自民党政治そのものを変えるために奮闘する」と挨拶を結びました。
