嵐山中ノ島公園の「日中不再戦の碑」前の「つどい」であいさつ。

2023年09月18日

16日、嵐山中ノ島公園に建つ「日中不再戦の碑」前集会が開催されました。
堀川あきこ衆院近畿比例予定候補(京都2区重複)と一緒に参加し、不戦の誓いを新たにあいさつを行いました。

はじめに、日中友好協会京都府連合会宇野木洋会長が開会のあいさつ。

写真下は、挨拶する堀川あきこさん。

 

 

日中不再戦の碑は、日本と中国の全面戦争の一つの発端となった盧溝橋事件(1937年7月7日)30周年の1968年、京都府民の平和の願いを込め建立されたもので、碑文を揮毫されたのは、清水寺の故大西良慶師です。

この日は、大西良慶師のお孫さんあたる清水寺の大西英玄氏があいさつされました。

 

 

私は、「中国侵略へ向かう時期の流れと、共産党弾圧の歴史から何を学ぶのか」として、「明後日は9月18日は、関東軍の謀略によって1931年、柳条湖事件が勃発した日」、「同年、松岡洋右氏は、1月の帝国議会で『満蒙は日本の生命線』と主張して、当時の風潮・スローガンになった」。
「同時に、今年は、関東大震災から100年。韓国や朝鮮、中国の人々、日本共産党の先達が『朝鮮人と社会主義者が内乱』との流言飛語・官憲のデマで虐殺された」と紹介。
しかし、こうした時代、「京都に縁のある竹久夢二は、ただ美人画を描いただけでなく、東京災難画信の挿絵で、子どもらの『自警団遊び』をするべきでないなどと批判」したことも併せて紹介しました。

 

 

同時に、私は「小林多喜二の小説にもなった1928年3月15日には、治安維持法で1600人余が検挙・弾圧され、治安維持法の改悪に反対した山本宣治が右翼の凶刃に倒れた。内に弾圧、外に侵略というのが、ことの本質だ。

日中不再戦の碑の建立にも尽力された蜷川虎三元京都府知事が「反共は戦争前夜の声である」と円山音楽堂で演説したこと、それだけでなく、蜷川氏は、京都府議会での答弁で「反共の声をあげるというようなときは、常にただそれだけにとどまらずして、ただ軍国主義的な意向のみを強くしてあらゆる思想を圧迫するというようなことは、歴史的な事実である」と確固として答弁したことも紹介。
反共バッシングの本質が侵略戦争の準備にあることが歴史の真実だと強調しました。

 

 

最後に、「いま必要なのは、対立・緊張関係を煽るのではなく、戦争を回避するための真剣な対話と協力を進めること」であり、「日本は憲法九条を持つ国として平和外交の先頭に立つべき」と強調。そして「嵐山には周恩来氏の『雨中嵐山』『雨後嵐山』の二つの詩碑が建っているが、周恩来氏は『模糊たる中に。一点の光明』として、マルクス経済学者として著名な河上肇氏に学びたいとの思いと、中国革命の大志を抱いた詩と指摘。
「今こそ、大軍拡と戦争準備に対抗し、大きな平和のうねりを作り出そう」と呼びかけました。