京都府委員会で総選挙の候補者発表。私は「次期総選挙には出馬せず」と記者会見。

2023年06月24日

23日、日本共産党京都府委員会で,来る総選挙(衆議院選挙)京都小選挙区(2区~6区)候補者発表の記者会見が行われました。
私は、「次期総選挙には出馬せず」との報告(末尾の発言要旨を参照下さい)を行いました。

 

 

司会は寺田茂副委員長が、候補者発表は党中央委員会幹部会に出席の渡辺和俊委員長に代わり地坂拓晃書記長が行いました。加藤あい京都市会議員団幹事長,池田文穂国政事務所長が同席しました。

 

 

私の後継として近畿比例ブロックに立候補予定の堀川朗子(京都2区重複)さんは、「高すぎる教育費の本格的な軽減など、若者世代,子育て世代の願いを国政に届け、政治を変えたい」と決意を語りました。

 

 

記者からの質問は,期せずして今季限りで引退を表明した私に集中。
「これまでの政治体験の中で印象に残った出来事は?」の質問に、私は「阪神淡路大震災時、故小田実さんら市民のグループと共同。ともに運動して被災住宅への国の支援制度を実現することができた。これは、いまの市民と野党の共同の原型、さきがけとなったと思う」と答えました。
また、「やはり、市民と野党の共闘の中心にいて仕事をすることができ自民・公明の政権の心胆を寒からしめることができた。これは得がたい政治体験だ」と述べました。

 

 

*******

 

以下、私の「次の総選挙に出馬せず」との発言要旨を紹介します。

 

 

「次の総選挙に出馬せず」(京都府委員会での記者会見での発言要旨)

一、長い間お世話になりました。「感謝」の一言しかありません。京都府民、近畿六府県の有権者のみなさんに心から感謝を申し上げる。
思い返せば、1985年、翌年の京都府知事選挙と同時に行われる京都府会議員北区補欠選挙に立候補以来、候補者・議員としての活動期間は38年にわたる。
無名の私を、育んでくれた京都のみなさん、支持者、後援会員、そして日本共産党員・同志のみなさんにお礼を申し上げる。
京都市会議員活動、国会活動を支えてくれた事務局・秘書のみなさん、京都府委員会、友人、連れ合いと家族に謝意を表したい。

一、国政の候補者として、京都一区の革命的伝統、谷口善太郎さん、梅田勝さん、藤原ひろ子さんの後を受け継ぎ、「わだつみの悲劇をくりかえすまい」、憲法を暮らしと平和に生かすとの政治スローガンを掲げて闘ってきた。
また、1997年、前任者の寺前巌さんの「政治を国民の手に」のスローガンを引き継いで、議会制民主主義の発展を心掛け、日本共産党国会対策委員長として26年間活動してきた。
国政候補者となって、1991年以来、山本宣治、蜷川虎三、河上肇、谷口善太郎、国領五一郎各氏の墓、京都解放運動戦士の碑を年末年始に詣で、革命・革新の先達の生涯に思いを馳せ、決意を披歴してきた。
私は京都を愛し「京都が京都であり続ける」ために、まちづくり、伝統産業等の振興に努め、”弘法さん”、”天神さん”での宣伝に拘ってきた。

一、わが党には、洋々たる未来がある。候補者の顔ぶれがそのことを示している。
京都2区は、堀川あきこさん。3区は、西山のぶひでさん。4区は、吉田幸一さん。5区は、山内健さん。6区は、かみじょう亮一さん。
さらに、近畿比例候補には、辰巳コータローさん、堀川あきこさん、清水ただしさん、こむら潤さんらが決定した。どの方も論戦力、国民からの信頼、試され済みの候補者ばかりだ。
京都の候補者発表だが敢えて述べたい。全国で屈指の党の影響力の強い近畿ブロックでの前進こそ焦点だ。一致団結して、日本共産党の前進のためにスクラムを組んで闘いたい。

一、戦争への道か、それとも憲法に基づく平和の道か。日本の進路が問われている。反戦平和の党、国民の苦難軽減という立党の精神をもつ、日本共産党の前進が今ほど求められているときはない。
議員活動を通して、ブレない党の一員として奮闘し、「市民と野党の共闘で政治を変える」という大道を歩んできたことを誇りに思う。
解散までの任期中、議員としての活動に全力を挙げることは言うまでもない。
「この党なかりせば」、日本はどうなるのか。大政翼賛会と見紛うような国会状況、新たな戦前にしてはならない。次なる闘いで日本共産党が勝利するために、「日本の夜明けは京都から」、日本共産党の一員として頑張ることを誓ってあいさつとしたい。