京都岩手県人会創立40周年記念式典・祝賀会

2023年06月19日

報告です。17日は、好天の清水寺境内で、「京都岩手県人会創立40周年記念式典・祝賀会」が開催され、参加しました。

記念式典・祝賀会の前に、境内にある阿弖流為・母禮の碑の参拝が行われ、「碑の建立に京都市会議員時代にご尽力いただいた、こくた衆院議員がお見えになっておりますので、一言ご挨拶いただきます」と司会にうながされ、挨拶しました。

 

 

私は、碑の建立の経過とともに、この碑を清水寺に建立する際、「従来の歴史観では、征夷大将軍の坂上田村麻呂公が『官軍』で、阿弖流為・母禮が『賊軍』とあるのは、たまたま当時の時代背景によるものであり、蝦夷の地が攻め込まれたという事実を踏まえ、両者を評価し、現代の考え方に通じる「ともに生きる共生の立場」に清水寺がいち早く立ったことのエピソードを紹介しました。

 

 

写真は、碑建立の経過を詳しく説明する和賀亮太郎関西アテルイ・モレの会会長

 

 

移動の途中、こちらも清水寺境内にある故蜷川虎三元京都府知事の碑
「ただひとつ わが道を行く 春」としたためられています。

 

 

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短時間の県人会総会に出席した後、私は、滋賀県近江八幡市で開催される決起集会で講演をするため、記念式典と祝賀会には秘書の永戸さんが代理出席しました。

まずは、県人会の物故者と東日本大震災の慰霊を弔う法要が執り行われました。

 

 

「法話」を行う清水寺の森清範門主
森師は、「実は坂上田村麻呂公は、『坦懐』(たんかい)の人物であったと書にある」と紹介。「坦懐、すなわち優しいお人柄がゆえに、阿弖流為・母禮と気脈と通じることになった」と説き、人と人との絆の大切さをお話しいただいたそうです。

 

 

写真下は、記念式典で挨拶する佐藤耕吉京都岩手県人会会長。「なぜ創立50でなく、40周年か」として、「県人会の主力は、60代、70代。50周年まで待てない、なんとか私たちが力のあるうちにと40周年記念式典を開催した。若い後継者の参加が県人会の課題」などと挨拶されたそうです。