こくたせいこ染色展、出雲市の高瀬川ギャラリーで開催。

2023年05月9日

8日から、連れ合いの「こくたせいこ染色展」が、出雲市の高瀬川ギャラリーで始まりました。

写真下は、作品のひとつ。

 

 

ギャラリー高瀬川の風景(同ギャラリーのホームページより)

 

 

とても、場所も素敵ですよ。

 

 

連れ合いの報告によれば、たくさんのお客さんがお見えになったとか。
特に発刊した「染色屋 ろうけつ染め こくたせいこ」が思いのほか好評で、気をよくしている模様です。

 

 

私も、特に気に入っているのが「どうだん『エッセイ』」の「出雲弁」の項です。さすがに出雲弁の地元であることもあり、話しが盛り上がったとか。さもありなんと思わず、笑えてきたのでした。

小冊子から、取り出しました。

 

 

 

 

 

余り、写真写りが良くないと、文章も見えなくてはと。印刷所に頼み、原稿を載せます。

 

 

どうだんエッセイ    「出雲弁」

 出雲は、私が生まれ、十八歳までを暮らした土地である。離れて五十八年になる。その殆どを京都で暮らし、日常の会話は大方京都弁もどきだ。

ところが近頃何かの拍子にポロっと出雲弁を使う。「ああ、そんな言葉があったよなー」と苦笑する。連れ合いが大喜びで真似ようとするが、決して真似られない部分があって、それは発音である。
五十音の『い』段にあたる「いきうしちにひみいりい」を出雲弁風に発音することは至難の業で、出雲人ではなかった父は出雲の言葉を使いながら終生出雲弁でしゃべることはできなかった。

 高校教師だった父の最後の赴任校は、私の母校でもある平田高校であった。
三年生の卒業文集を作るにあたって子どもたちに表題を考えさせたところ「ししし」に決定した。父は大いに楽しそうだ。なかなか面白い楽しい子どもたちだ、と私は思うが、「ししし」とは何?
 稲刈りの終わった冬の田んぼに、脱穀済みの藁で造られた、円筒形に藁の三角屋根が載ったような造形物が点々と立っている。
 秋の「派手場」と共に出雲平野の風物詩であったが。今はもう無い。その「ししし」はしかし、発音表記することは出来ない。「ししし」なのか、「ししす」なのか、「しすす」なのか、「すすす」なのか、「すすし」なのか「すしし」なのか…。なんせ「煤」も「鮨」も、表記するとすれば「すす」あるいは「しし」なのだから。

 生徒らは大調査を開始した。結果その形状からイノシシの巣と言うことに落ち着き「ししす」となり、今和菓子屋で「ししす」饅頭が販売されているらしい。

 この出雲に毎年欠かすことなく帰り続けている。両親がいなくなり、家は空き家になって久しいが出雲での作品展は来年35回目になるらしい。
 帰る度、即座に私の出雲弁は相手を得て息を吹き返す。そのたび、入れ代わり立ち代わり同窓会だ、飲み会だと集まる友人たちが声を揃えて言うのだ。「あんたの出雲弁が一番上手」と。それはそうだろう。私の出雲弁は58年前間変わることなく止まったままなのだ。外からの変化にさらされることなく私自身の中で純粋培養されつづけている。

 地元に暮らす友人たちは、情報網の発達と文化、言葉の均一化のなかで日常の言葉たちの置き換わりが繰り返されて、出雲弁の範囲が侵食されていったのだろう。私たちの下の世代には、話す言葉にもその発音にも出雲弁の欠片すら見つけるのは難しい。

こうして方言は消えていくのだろうか。
地方の新聞のコラムなどを使って「出雲弁」を残す試みも一時つづけられてはいたが、発音の壁は大きい

 「まくれたよ」「手ぼろけした」「かけらかす」「きこ」「ぼいちゃげる」これらは近頃何かの拍子にポロっと口をついて出てきた58年前の出雲ことばだが、さらに出雲訛りが加わると全く理解不能だろう。35回目作品展の同窓会には録音スタッフが必要かもしれない。