市田忠義参院議員勇退。本会議で最後の討論//団総会であいさつ。

2022年06月16日

 

15日、1月17日に開会した国会は、150日間の会期をもって閉会しました。
参議院での最後の本会議で、今季限りで勇退する市田忠義参院議員(党副委員長)が登壇。
2020年決算などへの討論を行いました(討論は下段に掲載)。討論を終えると、日本共産党の議員席からだけでなく、議場全体から拍手が送られました。市田さんの多くの方から親しまれる人柄を表しているものでした。ほんとうにお疲れさまでした。

私も、参院本会議場の、議員傍聴席で傍聴し、思わず拍手を送ってしまいました。

 

 

市田議員の討論です。

日本共産党の市田忠義です。会派を代表し、2020年度決算、2020年度国有財産増減及び現在額総計算書の是認に反対、2020年度国有財産無償貸付状況総計算書の是認に賛成、内閣に対する警告決議に賛成の立場から討論を行います。

本決算は、安倍内閣が最後に編成した当初予算に、3次にわたる補正を加えた予算の執行結果です。
2020年度は、コロナ危機のもと、国民の命と生活をいかに守るかが焦眉の課題でした。自粛と補償をセットで求める国民の切実な要求に耳を貸さぬ政府の対応が、厳しく批判されました。その結果政府は、持続化給付金など、野党の提案も一部取り入れましたが、自粛への補償・支援は極めて不十分でした。検査の抜本拡充、医療機関への減収補填などにも背を向け続けました。その一方、アベノマスク、「Go To」キャンペーンなど不要不急の事業に多額の国費を投入しました。コロナ対策は失格と言わざるを得ません。

経済の舵取りでも、消費税増税による不況の進行に何ら対策を打たず、社会保障費の自然増を大幅にカットし、制度の切り捨てを進めました。大企業優遇税制にもメスを入れず、更なる優遇策を盛り込みました。

軍事費は過去最大の5兆3千億円、米国製兵器を爆買いし、海外で戦争する国づくりを進めています。本院は2020年6月、米国政府との間で行う有償援助による防衛装備品等の調達について、改善を求める警告決議をあげました。しかし、政府は、第3次補正で2800億円を超える兵器購入前払い金を計上するなど、財政規律を無視した対応を続けています。

財政民主主義破壊の典型は、10兆円もの予備費の計上です。安倍内閣はこの予備費により、通常国会の延長にも、憲法53条に基づく臨時国会の召集にも応じませんでした。議会制民主主義の蹂躙ではありませんか。
以上の点から、2020年度決算の是認にはきびしく反対します。

決算審査では、行財政の問題点を、中長期の視点で明らかにすることも重要です。
私が参議院に議席を得たのは、新自由主義があらゆる分野に本格導入されるようになった時期でした。

消費税の増税、健康保険の窓口負担の引き上げなど、当時、「9兆円負担増」と呼ばれた改悪への怒りを背に、1998年の選挙で国会議員となり、労働・社会政策委員会に所属しました。
雇用の分野では、それまで通訳など26業務に限定されていた派遣労働が、「原則自由化」されたのが1999年です。

自公政権は、その後も、労働法制の規制緩和、社会保障の削減、消費税の増税を繰り返しました。今日では、非正規雇用は4割を超え、保健所は半減。それらが、格差と貧困、賃金が上がらず成長しない経済、医療・公衆衛生の脆弱化、国際競争力の低下をもたらしました。これらの矛盾はコロナ危機によっていっそう激化しました。

日本共産党は、新自由主義を転換し、「やさしく強い経済」をつくる改革を提案しています。
消費税5%への減税とインボイスの中止は、全ての物価を引き下げる特効薬となります。

分配重視や所得倍増は一体どこへ行ったのか。今こそ政治の責任で賃金を上げる時です。行き過ぎた減税によって増えた大企業の内部留保に課税し、そこで得られる財源を活用して、最低賃金を全国一律時給1500円に引き上げます。課税に適切な控除を設けることで、内部留保を、賃上げや国内投資にまわす流れをつくることもできます。
弱肉強食の新自由主義を終わらせ、国民の命と暮らしを最優先にする政治に切り替えるため、全力を尽くす決意です。

1990年代は、「日米安保共同宣言」や周辺事態法により、日米安保が「極東」から「アジア・太平洋」に拡大された時期でもありました。
その後、テロ特措法やイラク特措法で、日米同盟は地球規模に拡大されました。さらに、安倍内閣のもと、歴代政権が憲法上許されないとしてきた、集団的自衛権の行使容認と安保法制が強行され、米国の戦争に自衛隊が自動的に参戦する仕組みがつくられました。

ロシアによるウクライナ侵略に乗じ、「軍事力・抑止力の強化」や「9条改憲」の大合唱が起こっています。
自民党は「反撃能力」の名で、「敵基地」だけではなく、「指揮統制機能」を攻撃する能力の保有と、軍事費の2倍化を提言しています。岸田首相は5月の日米首脳会談で、「拡大抑止」の強化、「防衛費の相当な増額」を公約しました。

今、進められている、安保法制のもとでの「敵基地攻撃」は、日本が攻撃されていないのに、米国が軍事行動を始めたら集団的自衛権を行使し、自衛隊が米軍と一体となって相手国に事実上の先制攻撃を仕掛けるものです。それは、相手国の反撃を呼び込み、全面戦争にもつながる、最も危険な道と言わなければなりません。
これまでまがりなりにも掲げてきた専守防衛を投げ捨て、「軍事対軍事」の悪循環を加速し、国民の生命・財産を脅威にさらす、極めて危険な方向です。9条改悪はこの道を突き進もうとするものです。

ウクライナ危機について、日本共産党は、「ロシアは国連憲章を守れ」の一点で、世界が団結することを呼びかけています。
米国が唱える「民主主義対専制主義」など、価値観で世界を二分し、「力対力」の対応を強化するやり方では、新興国や途上国を含めた世界の団結を困難にします。
ウクライナ侵略の責任は挙げてロシアにあります。軍事同盟への懸念は、それを免責するものとはなりません。その上で、戦争という悲惨な結果となった背景には、NATOもロシアも双方が「力対力」の対応に陥った「外交の失敗」がありました。欧州の失敗から引きだすべき教訓は、軍事同盟の強化ではなく、地域のすべての国を包摂した平和の枠組みをつくることです。憲法9条を生かした平和外交こそ政治の果たすべき責任ではありませんか。

日本共産党は、アセアンとの連携を強め、アセアン・インド太平洋構想を推進することで、東アジア規模の集団安全保障の仕組みをつくることを提案しています。軍事ブロックのような排他的な枠組みでなく、包摂的な枠組みをつくることが、私たちの提案の眼目です。
一部の政治家や政党が主張する「核共有」は、被爆国の政党、政治家にあるまじき暴論です。ロシアが核の使用を公言するなか、核抑止力論の破綻は明らかです。唯一の戦争被爆国である日本政府こそ核兵器禁止条約に参加すべきです。

四半世紀の政治をふり返ってみれば、自民党政権が進めてきた、新自由主義と戦争国家への道は今、国民の生命・安全とうてい両立しえない地点にきていると言わざるを得ません。
その大本には、米国追随、財界の利益第一という政治の歪みがあります。日本共産党は、そこにメスを入れて、政治の根本的転換をはかります。

私は、今期で参議院議員を引退します。
郷土の大先輩であり、治安維持法に反対して右翼の凶刃に斃れた山本宣治は、「民衆の政治運動」とは、「代議士のみに任して置く」ものでない。議会に於ける代議士の活動と共に、議会外に於ても大いに活動を要する」と語りました。私は、議員ではなくなっても引き続き、市井にあって、日本の平和と民主主義、国民生活の向上のために生ある限り力を尽くす決意を述べて、最後の討論とします。

 

 

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参議院の本会議終了後に開かれた日本共産党国会議員団総会で、市田忠義議員があいさつ。

以下は、市田さんのあいさつ。

今季で参議院議員を引退することになりました。志位和夫委員長をはじめ、同僚議員のみなさんには大変お世話になりました。ありがとうございました。心からお礼を申し上げます。

56歳という遅咲きの初当選で、右も左も分からない未熟もんの私を、大変、親身になって支えていただいた国会議員団事務局のみなさん、そして党本部の政策論戦部門だけではなくて、車両部や警備の担当をしていただいた方に、また私の健康に大変な気配りをしていただいた保健室のみなさんなど関係者のすべてに、この場をお借りして心からお礼を申し上げたいと思います。

それから何よりも京都をはじめ、全国の有権者のみなさんに支えていただいたことが、何とか今日までやり通すことができたと思っております。
途中、2000年12月に大腸がん、昨年の5月に脳梗塞と大病を患いました。大変、議員団のみなさん、党本部のみなさんに、ご迷惑をおかけいたしましたが、何とか80歳、(党の)100周年まではと思って頑張ってきました。

不十分ながら13年間の書記局長の時代も含めて、何とか24年間、勤めあげることができたのは、ほんとに先ほど挙げた関係者のみなさんの大きなご支援の賜だと心から感謝しております。
私の四半世紀を振り返っての政治的な思いは、先ほどの参議院本会議での決算の反対討論で述べました。国対のご配慮でペーパーを配っておりますので、時間の制約上、長話はやめます。
引退と言っても議員でなくなるだけであって、すべてが終わるわけではありません。たたかいはむしろこれからであります。目前に迫った参議院選挙勝利のために全力を尽くして頑張って、勝利を手にしたときに、初めて私の任期は満了したと言えると思っています。

「薫風や背筋を伸ばして引退する」、これはある新聞の日曜日の投稿句の入選作でした。
これからも市井にあって、平和と民主主義、誰もが人間らしく生きられる、そういう社会をめざして、生ある限り、背筋を伸ばして、たたかい抜く決意を申し上げて、お礼のご挨拶といたします。
ありがとうございました。

 

 

 

 

倉林明子参院議員から花束の贈呈。

 

 

市田さんは、日本共産党京都府委員会の責任者として活動されました。市田さんの説得で、私は1990年に衆議院旧京都一区の候補者になりました。以来一貫して指導・援助していただきました。あらためてお礼を申し上げ、感謝の意を表明し、「お疲れ様でした」と述べたいと思います。ガッチリ握手。