加藤広太郎さん(元京都市会議員)お別れ会に参列
2019年12月20日
報告です。17日、元京都市会議員のかとう(加藤)広太郎さんの「お別れ会」が執り行われ、参列しました。
かとう広太郎さんは、1983年に京都市会議員に当選し、以後7期連続当選。2008年に病を発症し闘病生活。今年 10月 8日にご逝去されました。
かとうさんの足跡のスライド上映では、1994年の赤旗まつりで、中央ステージをバックしにして、かとう広太郎さんとタスキをかけた、加味根史郎(当時参院京都選挙区予定候補)、寺前厳衆院議員と私の写真が紹介されました。
私は、87年に京都市会議員に当選し、一期だけですが日本共産党京都市会議員団の一員として、かとう先輩の援助を受けた一人です。
京都市当局の議案説明への対応や、スーパーカブに乗っていつでもどこへでも「街角の一所懸命」をスローガンとしての活動などいつもご教示いただきました。
天安門事件の暴挙に抗議する宣伝なども一緒に行いました、その時のエピソードも紹介・報告。
京都市会の野球チームのキャッチャーの加藤さんの写真も紹介され、当時ピッチャーは私でした。確か横浜市会との対戦で、コントロールがいまいちで四球を連続して敗れたことを思い出し、披露に及びました。
北山忠生前京都市会議員が83年当選の元同僚としてあいさつし、市田忠義参院議員からも同窓の同志としてのメッセージが寄せられました。
かとう広太郎さんの遺志を継いで、来るべき京都市長選挙で福山和人さんの勝利と野党連合政権の樹立を誓いました。
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