11日、阿弖流為(アテルイ)、母禮(モレ)の法要@清水寺

2017年11月12日

「550 西陣の日」と後先に、なりました。11月11日、雨上がりの陽射しに紅葉が映える京都・清水寺訪れました。

 

清水寺

 

音羽の滝のスグヨコ、「北天の雄」と刻まれた石碑の前で、阿弖流為(アテルイ)、母禮(モレ)の法要が厳かに執り行われました。

 

あてるい1

 

読経をする清水寺貫主の森清範師(前列中央)

 

あてるい

 

私は、清水寺境内への阿弖流為、母禮の碑建立にかかわった一人として、毎年、都合のつく限りで法要とその後の懇親会に参加しています。

 

あてるい2

 

懇親会で挨拶する私。写真右に写っているのが森清範貫主。

 

あてるい懇親会

 

清水寺といえば、故蜷川虎三元京都府知事の石碑にもごあいさつ。

 

蜷川碑

 

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以下、阿弖流為、母禮のいわれについて、「関西アレルイ・モレの会」のHPでの紹介文から、ごく短く要約して紹介します。

「奈良時代、朝廷は宮城県仙台市東北部に多賀城を築き、陸奥攻略の拠点としました。天平21年(749)、陸奥の国で初めて金が取れたこともあり、朝廷は多賀城を強化して蝦夷攻略を本格化し、宝亀5年(774)から弘仁2年(811)まで朝廷と蝦夷の「38年戦争」が続いたといわれます」「こうした中、延暦21年(802)、蝦夷の頭領アテルイと副将モレは征夷大将軍坂上田村麻呂公の勧めにより休戦に応じて上京。しかし、田村麻呂公の嘆願むなしく、二人は現枚方市にて斬首されました。」