御弓師 21代目 柴田勘十郎さんと懇談

2017年07月2日

7月1日午前、明日告示の那覇市議選の応援に出立する前に時間を作り、御弓師21代目柴田勘十郎さんの自宅兼仕事場を訪問し、懇談しました。

 

柴田勘十郎

 

京都で弓を制作する柴田勘十郎氏の初代は、戦国時代の天文3年(1534)から弓師として仕事を始め、「本能寺の変では柴田勘十郎作の弓が使われた」ともされているようですが、「実際にそうだったかどうか、案外いいかげんなもので、史実は分かりませんが」と柴田さん。元禄時代、京都で徳川藩に仕え、その際「御弓師」の称号を授かり、明治22年には「宮内庁御用達」となり、20年に一度の伊勢神宮の「式年遷宮」では59張の御神宝弓を制作されたそうです。また、昭和3年、昭和天皇の「即位の大礼」では「19代目柴田勘十郎が500張の弓をおさめ使われた」とも言います。

 

柴田作

 

現在の日本の弓道人口は約10万人だそうで、柴田師も年間400張前後の弓を作るとか。7尺余の長さ、真竹の強度としなやかさが支える弓のしなり。「(跡継ぎの)息子が作った弓と、俺が作った弓では、違いが分かるだろう」と、岩手県から弟子入りしている杣(そま)さんに胸をはる柴田師。

歴年の弓道家らからは「やはりものが違うな」と、柴田師の作る弓はあこがれの的です。

 

仕事場