児玉健次・元衆院議員のご逝去にあたり、心からお悔やみ申し上げます。
2021年02月28日
2月24日、児玉健次・元衆院議員が札幌市内の病院でお亡くなりになりました(享年87歳)。心からお悔やみ申し上げます。
地元紙北海道新聞から児玉健次さんとの思い出の取材を受けました。
児玉さんは、良き先輩でした。私が2003年の3月に胆のう炎を患ったとき、児玉さんに国会対策委員長の代理として活動いただきました。議院運営委員会の理事と一番忙しい仕事を兼任してもらいました。
児玉さんは、誠実を絵に描いたような方でした。歴代首相に凛として立ち向かい、いつも長身の背筋をピンと伸ばし、諄々と諭す語り口で圧倒しました。
森首相の原子力潜水艦によるえひめ丸の事故対応めぐる質問では、静かに諭すその人が怒るのですから、委員室がピーんと緊張の糸が張ったものです。
瀋陽事件の際の政府の矛盾をつく質問も見事なものでした。答弁に立った外務大臣が立ち往生したのです。
氏は、広島県出身で、北海道立北見柏陽高校教諭などを経て、1986年の衆院選挙で初当選し4期(北海道1区で2期、比例北海道ブロックで2期)、社会労働委員、文部科学委員などを担当しました。
引退されてからも、事あるごとにお手紙を頂戴し激励してくれました。困難な時期こそ次への飛躍の準備のとき、必ず打開できるとの励ましでした。
手紙の裏には「兒玉」という字がいつも書いてありました。思い出は尽きません。いまは安らかにお眠りください。
2004年に「国会活動をねぎらう会」が札幌市内で開催され、駆けつけました。
2005年には『聞こえますか命の叫び 戦没学生永田和生の「軍隊日誌」』を出版。出版パーティーに出席。
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イラン派兵で追及する児玉氏。